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「ごめんなさい」その十五_第十五話_世の中にある多くのこと

 こんばんは、三日月です。
 今までのお話で気になったところを修正。お話は変えていませんがすみません。まだずいぶんと残っているので後日修正する予定。その際は明記します。
 それでは第十五話です。どうぞ。












 



 十五 世の中にある多くのこと



 



 



 五十川(いそがわ)はイライラしているようだった。



「一ヶ月で進むどころか、悪化の一途じゃねぇか」



 そのとおりだった。最悪の結果。不幸中の幸いとでもいうのか、死んではいないものの……看護師が発見するのが後少しでも遅れれば、危険な状態だったという。



 水村(みずむら)さんの右腕に、初めて縫うほどの傷ができた。死ぬ気はなかったのか、手首ではなかったが……彼女の病室のベッドが赤く染まるほど、大量の血が流れてしまっていた。



 今は治療を終え眠っている。発見されたときも気を失っていた。同時に泣いた痕もあったという。なにが悲しく、なにに絶望したのか。目覚めた後、話を聞かねばならない。



 あれだけ多くの似顔絵を描いたこと。その理由も。



「まあ、仕方ない。こうなれば入院は継続だな。これで放り出したら、それこそ大問題だ」



「……ああ」



「いいか、これはお前の失態だぞ。覚えておけ」



「わかっている」



「飛ばされても文句は言えないからな」



「……」



 目を瞑って黙って聞いていた。返す言葉などない。これで不適当だと、担当を外されるかもしれない。しかし、せめて今回の一件の始末ぐらいはつけさせて欲しかった。言える立場ではないが、せめてそれぐらいは。



「先生、目を覚ましました」



「ああ、今行く。大丈夫そうなら、話をして謝っておけ。いいな」



「……ああ」



 彼らが立ち去る。



 悔しさと無力感に打ちひしがれて、しまった。



 ……奥から五十川の話す声がする。彼女の応対は聞こえない。どこがおかしいところはないかと、それにも。



「じゃあ後は深町(ふかまち)大先生に治療してもらえよ。きっと治してくれるだろうな。あいつにだけは心開くんだろう?」



「……」



「お前、泣くぐらいならなんとか言ったらどうだ? 話せるくせにだんまりか? 楽でいいな。こっちはお前のわがままに付き合うのも疲れたぞ」



「先生!」



 思わず扉を開いた。彼女の姿を隠している背の高い医師の肩を、思い切りつかんで振り向かせる。



 手が勝手に動き、人の顔にぶつかる感触を残した。そのまま胸倉をつかみ上げる。



「お前は今なにを言った?」



「事実だろうが。こいつは失語症じゃない。話せるのに口を動かさない甘えん坊だろ」



「足が動かない人間に、足がついてるから歩けと言うのか、お前は!」



「動いてるだろ、そんなに怒るところか?」



「リハビリ中なんだよ、動くときも動かないときもある」



「失語症ではない。怠けているだけだ」



「お前の悪いところは外に見える傷しか見ていないところだ。努力してきたところを私は見てきた。主治医だからな」



「だったらどうしてこんなことになる? お前がちんたらしてるからだ。こいつだっておかしいぜ、どっちもどうかしてる」



「患者をおかしいと呼ぶのかお前は! この病を患者のせいに押し付けるなどあってはならない!」



「こんなもん本人の意思だ! 病でもなんでもない!」



 また手に、感触ができる。



「もう一度言ってみろ、お前を許せなくなってちょうどいい」



「すべての患者に非がないとは言えん」



「この患者の個を見ろ!」



「知るか! 俺が知ってるのは右腕についてる夥しい数の切り傷だけだ。どう見ても自分でつけたな。ああ病気って言えば簡単だろうな、だが自分の意思でやっている時点でただ頭がおかしいだけだ」



「……!」



 こいつを引きずって病室の外に出した。これ以上こいつの言葉を聞かせられない。



 恐怖と怯えと鈍痛に涙を止められない彼女に、これ以上の負荷を与えたくない。



 十二分に距離をとったところで五十川を放り出した。



「患者を理解しようとしないのは、病を理解しようとしないのは怠慢だろう」



「専門外だ」



「なら、余計な口は聞くな。彼女は私の患者だ」



「おかしいものをおかしいと言ってなにが悪い」



「そういうのを無知な偏見って言うんだよ。お前は被事故者の治療に当たってその傷は患者が悪いと言うのか?」



「それとこれとは違う」



「違わないよ。お前が知らないだけだ。新しい手術法は研究するくせに他はさっぱりなんだな」



「だから専門外だと言っただろ」



「ならば黙っていろ。何度でも言うが、手術中に余計な口出しをされてお前は喜ぶのか?」



「はん。長い手術だな。執刀医の腕が知れるぜ」



「……わかっている。いいな、もう二度と余計な口を叩くな」



「はいはい。後は研修医でもできる。言われなくとも、もう俺が診ることもない」



「……」



 私は踵を返し、彼女の元へ戻った。再度自傷を行う前に話をしておかなくては。



 病室には看護師が残っていた。他人の目の前で自傷ができる患者さんなどいない。彼女は水村さんをかわいそうだという目で見つめていた。



 水村さんは先ほどとまったく変わらない体勢で固まっていた。涙が乾き赤い痕となっている。



 隣に座り、看護師に二人にして欲しいと目線を送った。



「すまない、本当に……」



「……」



「二度とあんなことは言わせない。絶対に」



「……」



「君は甘えても怠けてもいないよ。頑張ってきたんだ。私が保証する。回復の兆しは充分見えてきた。あいつの言葉を気に病むことはない。君は悪くない、絶対にだ。誰がなんと言おうと、絶対に」



「……」



 くそっ。思いつくままにべらべらと、また。



「……なにがあったんだい? 話して、くれないかな」



「……」



「私が悪いのなら、言って欲しい。顔も見たくないのなら、次の医師に任せるから」



「……」



 戻ってしまった。会話ができなくなっている。私は持ってきたペンと用紙を彼女の傍に置いた。



『しばらくここにいるよ。書けるときに書いて欲しい。私が邪魔なら、頷いてくれないかな』



「……」



 微動だにしなかった。ただ自分で作った傷痕をじっと見ている。



 原因がわからない。今日はいつもどおりだった。いつもどおりの会話と治療を行った。だがその後、看護師が地面に落ちる金属音を聞き扉を開けば、そこに倒れている彼女がいた。短い間、約一時間。その間なにがあったのか。



 ……最も簡単に想像がつくのは、治療そのものだ。それを苦に思っての自傷。だがそれも彼女の口から聞くか、こちらから確認をとるしかない。今はどちらもできそうにはなかった。



 少しの躊躇い。だが、拒絶されるかどうかを確かめる手段として、私はそっと彼女の両手を包んだ。かすかに跳ねる体。だが、顔を歪めることも、涙を滲ませることもなかった。



 勝手な解釈だ。だが今は自分を信じるしかない。



 信じてもらうしか。



 



 



 



 



 ……



 ……



 ……



 いや。自分がきらい。



 やさしくしてもらいたい。でも、やさしくしてもらう価値なんてない。



 あの人の言うとおりだから。先生だけは甘えてないって言ってくれる。でも甘えてる。甘えきってる。怠けて、なにもしてない。ただ自分のくだらない恋心を満たすためだけに想い人を紙に描いているだけ。



 ……ない。違う部屋だ、ここ。探さなきゃ。せめて、あれくらい……



 ふらふらとおぼつかない足取りで、冷たい床を歩いていった。



 夜の病院の暗い明かりが心地よかった。誰もいる気がしない。誰とも会いたくない。



 先生と小さな個室に閉じ込められたい。ひとときでいいから、誰にも邪魔されない空間にいたい。誰かが来るかもしれない病室は恐怖が抜けないから。



 以前の病室を探し出し、静かに開けた。明かりをつけなくてもわかる。わたしの描いたものがまだ雑然と並んでる。



 ……



 絵の顔の頬の感触は、紙触りでしかなかった。



 あの人はあんなに簡単に触ってる。わたしとは違う、きっとどこか怪我してただけ。健康的に自分が笑顔だから、微笑んでもらえる。



 ……



 笑えなかった。ここ数年、笑った記憶がない。怒った記憶もない。泣いたことだけ。こんなので気に入ってもらえるわけない。ダメに決まってる。なにがしたいなんて、考えちゃいけない……



 もう、ダメ、いや、いや、いや……



 恋人じゃなくていい。わたしとも一緒に一回、ああいうのしてほしい。誰か、誰でもいい、わたしといてくれる人がほしかった。わたしといて、わたしに笑いかけてくれる人がほしかった。



 わたしだけのものでありたかったんだ。誰か別の人ともそうであることがいやなんだ。唯一残ったあの人が、あれだけのことで離れていったって勝手に思ってる。わたしのことなんてどうでもいいって、勝手に、笑ってるから、見捨てられたって、悲しくて……



 みにくいよ。ひどい。最低……



 特別がよかった。自傷(この)行為(こと)が特別だと勘違いさせてた。これがあるからのやさしさがうれしかった。見てもらいたくてずっとここにいたくて、続けてた。そうに決まってる。



 わたしは自傷行為(こんなこと)をしてるんだから、あなたは早く退院してよ。大変なの。わたしのほうがひどいんだから。あなた元気じゃない。もういいでしょ。返してよ。わたしのだったんだから。



 ……久しぶりに、歪んだ笑みが浮かんできた。自分の、あまりのみにくさに自嘲してる。引きつった頬の張りに、喉が渇いてきた。



 自分だけがつらいと思ってる。そんなわけないのに。



 苦しいよ。助けてよ。気づいてよ。って。理解してほしがってる、わかってほしいって、押しつけ。



 最悪だ……



「……へ、へへ、へへへ……へっ、う、ぁ……ぁぁ……う、うぅ、ううう……ううう……ううう……」



 泣いたってなにも解決しない。ずっと言われてる。我慢するようにもなった。でもダメだった。あの人に甘えるようになってからは、泣いて助けをこうばっかり。泣いてるから甘やかしてよって、なだめてよって、そればっかり。



 救いと畏れは同じもの。求めれば求めるほどにそれから逃げ出したくなってしまう。



 ……目的のものを集めて、部屋を出ようとした。と、ふと思い出す。隠しているあの人が描いてくれたわたしの似顔絵に。



 すぐに取り出して、暗がりの中じっと見つめた。



 わたしの小さなしあわせを紙の中に描き出した宝物に、また嗚咽が止まらない。



 うれしかったんです。だから、もっと描いてください。わたしの医者なら、患者の望みを叶えてください。



 自己中心的にもほどがある。救いようがない、救われるはずもない。



 こんな紙切れにすがりついてる。これを、これをびりびりに破いてしまえば楽になれる。なにもかもがなくなって、残った傷痕を晒して生きるくらいなら身投げしたほうがいい。家族のためにもなる。



 でも、死にたくない。死にたくはない。どれだけ無様でみにくくても、生きてたい。誰か一人、赦しがほしい。



 あの人に赦してほしい。この自傷行為(おこない)を赦して、いいよって言ってほしい。



 願いはたくさんある。できてしまった。でもどれもこれも、叶ったあとの恐怖が大きくなるばかり。



 治療が終わったあとに、理解してもらったあとに満足だよねと立ち去られるのが怖い。望みを叶えたあとに、もういいだろうと会うのを拒絶されるのが怖い。



 赦されて、その次の生きてていいよと言う言葉を、聞ける気がしない。



 一緒に歩いていく夢なんてすぐさま打ち消されるだけ。現実は一人、一人で歩くしかない。



 転んだ。紙がばらばらに飛び散った。全然痛くない。ふらふらと、また集める。少し歩き、また転んだ。また飛び散り、また集めた。



 ダメすぎる。わたしはなんてダメなんだろう……



 包んでもらえた両手だけが、今は温かく感じられる。



 



 



 



 



 お母さまは恋人がいるとしても諦めはしないみたいでした。おじいさまを説き伏せ、婚約を解消させて、その先を望んでいるよう。



 私もつい、ついてきてしまいます。私を嫌いと言わないあの方を、もう少し知って……幻滅したいと思っています。一年以上の想いは、そう簡単に消えてはくれませんもの。



 でも、病院にやってきたはいいものの、花織(かおり)のように母と共に行動はできませんでした。あの方の前では母は母ではなくいつも女でした。外見は落ち着いた大人そのものなのに、少女のように無邪気に笑う母が魅力的に見えて仕方ありませんでした。共になど、あれません。ふらふらと院内をさまよい、会う勇気を探していました。



 ……予約を受け付ける機械の下に、なにかがあるのを見つけました。そっとしゃがみこんで手にとって見ます。ゴミなら捨てようかと思ったのですが……



 そこにあったのは、あの方の似顔絵でした。



 これを描いた方のあの方への想いがひしひしと伝わってくる、惹きこまれるなにかのある絵でした。



 もしかしたら。あの方の恋人が描いたものかもしれない。病院にあるということはやはり看護師か、あるいは入院患者のいずれか。とりあえずすぐ近くにある受付けで提示してみました。



「ああ、それは入院患者さんの描いたものですね」



「そう、ですか」



「こちらで渡しておきますね」



「……私も、目通りしてはいけませんでしょうか」



「え? でも、ごめんなさいね、患者さんには色々あるから、へたに他人と会いたくない人もいるの。それを描いた子もそうだと思う」



「そうですか。無理を言ってすみません」



 素直に手渡しました。



 もしも病気だという患者さんへの同情で恋人となったのなら。充分に幻滅できる。知りたくなりました。その方のこと。あの方にも確認を取りたい。



花雪(かゆき)、こちらにいたのですか」



「お母さま」



 お母さまと花織が連れ立って戻ってきました。あの方はおりません。



「深町様は施設のほうへおられるそうですわ。そちらにお邪魔しましょう」



「……はい」



 お母さまは、知っておられるのでしょうか。深町さまの恋人のこと。もし知って、なお好きだと言うのでしたら。その想いが少し羨ましく思います。



 あのような嘘など、信じられる要素はひとかけらもありませんから。



 



 



 日曜日はあの方はお仕事だと思い病院に行きましたのですが、お昼休みを訪ねるとこのようなこともそれなりにありました。あの方にとってこの児童養護施設がどれだけ大切か、よくわかります。施設には深町さまが診るべき子もおり、病院で待つよりは実地へ向かったほうが多く時間が取れることを、去年のお付き合いで知りました。



 私にとって男性とは破壊するものです。私の父は、母を壊していきました。私の心にも少し、亀裂がある気がします。



 あの方は救うもの、あるいは癒すものでした。仕事柄だけではなく、またプライベートでも。あのまゆという少女にも身を削って献身していると、そう思えます。



 ……でも、まゆちゃんの母親には必要ないと思います。あの気安さで深町さまに触れてほしくない。あの人は憎い。大人だからというだけで、母親だからというだけで傍にあれる、優遇さがずるい。



 抱かれているからこその紅潮が宿る女の顔が、とても。



 施設内はいつもどおりの賑やかさでした。花織と同年代の子供が走り回り、ケンカをし、泣き、笑い、遊んでおりました。職員たちを困らせては微笑ませていました。



 その中で低いテノールはよく耳に残ります。すぐに、あの方がおられるところがわかりました。



「すごいじゃないか、九十八点なんて」



「い、いえ、そんなこと、ないです」



「じゃあ、なにして欲しい?」



「ああ、あの、私の平均点、九十点ぐらい、あるんです。あの、八十点は、普通で、もも、もらえません」



 テスト用紙を見てもらっていた少女の頬を両手で挟み、ぐいっと顔を近づけました。途端、少女の顔が真っ赤に染まります。



「ダーメ。パティだけご褒美をあげない訳にはいかないよ。他の子たちにも同じようにお願いを聞いてきたんだ。パティだけ特別扱いはできない」



「でで、でも、だったら、私は百点じゃないとおかしいです」



「おかしくありません。みんな八十点です。パティもみんなと同じだよ。ないの? 私にできることなら、なんでもするよ?」



「……」



 目に見えて瞳が潤み、耳までたこのようになりました。この子は、パティちゃんはほかの子とはちょっと違います。きっと私と同じ。憧れでなく、異性であると思います。



 お母さまは施設の方とお話しております。私一人、じっと眺めていました。



「……あ、の……で、できたら……」



「うん」



「……や、やっぱり言えません」



「パティ。遠慮しないでいいよ。どこか旅行に行く? 化石採掘は面白いよ。新しいスポーツをやってみるのもいいね」



「……い、っしょに……DVD、観たい、です……」



 ……拍子抜けするほど、小さな願いでした。これくらいを言うのにあれほど躊躇するとは、彼女が深町さまに抱く感謝の念がどれほど強いのか、想像に難くありません。



「……わかった。じゃあ、観たいやつを教えてよ」



「……たた、たくさん、あるから、あとで、いいですか」



「うん。わかった。今度来るとき観ようね」



「はい……」



 最後にそっと笑いかけ、頭を優しくなでました。赤面はその都度訪れ、あの方との触れ合いがうれしくて仕方ないと思えます。



 あれで私と二つしか違わないというのが、信じられませんでした。



「深町様。そちらにおられたのですか」



「ああ、こんにちは、八尋(やひろ)さん。それに花織ちゃん、花雪ちゃん」



「こんにちはっ」



「……」



 三人で軽くスカートを持ち上げ挨拶しました。まだ、素直に口を利けない私。子供です。



「ごきげんよう、パトリシアさん。お元気でした?」



「はは、はい」



「なにを話していたの?」



「あ、えと、ます、深町さんと、DVDを、観る約束をしました」



「まあ、よかったわね」



「はい」



「八尋さんたちはその後どうですか。新しい学校にも慣れました?」



「はい。慣れましたわ。ねぇ花織」



「聞いてください深町のお兄さま、私、転校してすぐ主役に抜擢されましたの」



「主役? 発表会の劇かな?」



「そうですの。ひどいですわ、みなさまやりたくないからと転校して間もない私に押しつけるだなんて」



「違うよ。花織ちゃんがかわいいからね。男子は見たくてたまらないんだ」



「まあ、お上手」



「なにをやるの?」



「白雪姫ですわ。見に来てくださいます?」



「休みの日なら行くよ。ぴったりだから。頑張ってね」



「ほんとにお上手ですわね。本番で王子さまが深町のお兄さまになってればいいのに。そしてみんなの前で本当にキスを交わすのですわ。ああ、やってみたい」



「あはは」



 本当に子供だわ。我が妹ながら少し恥ずかしい。



「深町様、私、もう一度音楽教師を始めましたの」



「本当ですか? 大変じゃありませんか?」



「いいえ。父の財に頼るのはもうやめますの。これからは私の収入だけで食べていきますわ。家賃も父に納めます。できるだけ、独立がしたいのです」



「……そうですか。頑張ってください。応援しています。また八尋さんのピアノ、聞きたいですね」



「はい、それはもう、お時間さえ合えばいつでもお聞かせしますわ」



「楽しみにしています。学校はどちらに?」



「花織の学校ではないのです。確か、まゆちゃんが通っているところではなかったでしょうか」



 深町さまが学校名を挙げます。すると、お母さまはそれですわと頷きました。



「教師はあまり学校を選べないのでしたね」



「はい。何年か勤めるとまた別の学校ですわ」



「それまでまゆちゃんのこと、よろしくお願いしますね」



「はい。しかと承りましたわ」



「お母さまは来てほしくありませんわ。学校でも家族の顔を見るのは億劫です。できれば深町のお兄さまが先生であればよかったのに。小学校にあがりますといつもそう思いますの」



「そう? だったら私も先生を目指していればよかったかな」



「もう、冗談ですわ。深町のお兄さまはお医者さまが一番ですの。白衣姿、素敵ですもの」



「ありがとう。君こそお上手だね」



「うふふ。もう七つですの。お世辞の一つ二つは言えますわ。けど、今のは本音ですのよ?」



「そっか。それは嬉しいな。ありがとう」



「ふふ。どういたしまして」



 花織が深町さまの手を取り、頬にすりよせました。無邪気な距離のなさがあれだけのことをします。けれど、私のほうがもっと親しかったのです。今は自分で溝を作っていますが。



 気づいたら、気づかれぬようそっと傍にきておりました。花織が持つ手の反対側へ回り、そっと体を傾けて体重を預けました。



 本当は腕を回して抱きつきたい。以前のほとんどない距離感を戻したい。この方の残酷な優しさは私にはいらないと気づいてほしい。できるなら空白の一年を埋めたい。でも、今はこれだけ。



「……」



 ぽんと、頭に大きな手が乗りました。それだけでした。けれど、今の私には充分でした。



 壊したものがまだあると錯覚させてくれる、取り戻すことができそうだと思わせてくれるまたの残酷な優しさが、うれしくもつらくもありました。



 再構築するか放置するのか。どこかで確かめる時間がほしい。あの絵の描き手はどなたなのか。この方に確認をしたい。



「深町様、子供たちの検診はよろしいのですか」



「はい、もう終わりました。どの子も健康でよかったです」



「それは重畳ですわ。でしたら、お帰りはいつ頃に?」



「病院へはもう戻ります。せっかくですので子供たちと遊んでやってください」



「はい……じ、自宅へは、いつ頃……?」



「夜の九時ごろだと思います」



「……そうですか」



 明らかに落胆を隠せない母を察したのか、深町さまはあっさり「そうですね。もう少しここで子供たちを監督するのもいいですね」と言を翻らせました。



「そ、そうですわ。もう少し、お話を……」



 そこで、近くに数人の子供たちがいるのに気がつきました。



「ねぇねぇ、八尋のお姉さんまたピアノ弾いてよ」



「久しぶりに聞きたいなー」



「あらあら、そうですわね、久しぶりですものね。わかりました、今から披露致しますわ」



 喜びに沸く子供たち。花織よりも幼い子がまだ大勢いるこの施設。今の世がどれだけ荒んでいるかを想像できる年齢になったのが少し、暗い。



 この施設の創始者が置いておいた古いピアノの前にお母さまが座りました。とても絵になる、お似合いの姿でした。調律は深町さまがやっておられるそうです。器用ですわ。



 たくさんの子供たちが見守る中、お母さまの優しい音楽が流れていきました。



 家族贔屓であることを差し引いても、お母さまの演奏は素晴らしいと思います。これを聞けば思わず勉強の手を止めるほど、子供の頃は癒しでした。またここの子供たちもそうです。遊んでいたボールを落とすほど、音に聞き入ってしまうのです。



 これを生業とできるのも納得しかできません。母もこれが好きだからこそ、ここまでの音色を響かせることができるのです。即興で作られた潮の満ち引きのような落ち着いた調べを、みなさんでゆっくりと聞いていました。



 ……私と深町さまだけ、少し遠くにいました。子供たちはみなできるだけ近くで聞こうと近寄ります。二人だけ。私はそっと訊ねてみました。



「深町さま、あなたさまの患者さんで、深町さまの似顔絵を描く方はおりますか」



「え、うん、いるよ」



「……その方と、恋仲にあるのですか」



「……」



 音楽は沈黙を許しません。



「違うよ。私の恋人は、その人じゃない」



「そう、ですか」



「……」



 子供たちの顔が安らぎに変わっていました。私も少しだけ、表情を和らげました。



「花雪ちゃん、今年十四だよね」



「ええ。そうですわ」



「その人に興味はある?」



「え? いえ、興味というほどは……」



「できたら」



 深町さまの顔が、今まで見たこともないくらい力のないものをしていました。「君の力を借りたい」



「……」



「怖さを知る君なら、少しは彼女のことがわかるかもしれない」



「はい。承りましたわ。ぜひ、お力添えをさせてください」



 口が勝手に動いていました。こちらがこの方になにかを求めることはあっても、求められることはありませんでした。たとえお仕事のためだとしても、それはやはり他人のためでした。純粋な部分も少しはあり、体面はできました。



 それよりなにより、この方に協力を仰がれることがうれしくてなりませんでした。



「水村さんというんだ、その人は。君と同じ十四歳になる。今度私と都合が合う日に、ぜひ一緒に会って欲しい」



「はい」



 母の音楽が耳にこれほど深く残るのは、初めてでした。



 



 



 他人に怒られるのが極度に怖い。確かに私にも一端は理解できると思います。父はよく頭ごなしに母を叱っていました。人前では仲のよい夫婦を演じさせ、家の中では乱暴に扱うのです。そのような人間に暴力を振れられ育ったとしたら。母のように大人でなければ、トラウマであることもおかしくないでしょう。



 けれど、それでも。両親より受け賜った身体に自ら傷をつけるなど、正気の沙汰ではないでしょう。



 理解できる部分とできない部分。私に治療の一助を担えるかどうか、少し不安でした。同い年ということがうまく働いてくれればよいのですが……



「……」



 問題外、としか思えませんでした。この方、水村さんは私の顔など見もせず、ただ俯いているだけでした。筆談だとしても、用紙自体を見てくれないことにはなにも意味がない気がします。



 期待に応えたいとも思います。けれど、この方は私には荷が重い……



『私、この前あなたが描かれた絵を拝見しましたの。素晴らしかったですわ。思わず見入ってしまいましたもの』



 ぴくりと、体が反応しました。瞳が上に動き、私を一瞬だけ捉えてすぐ戻りました。



 震える手が、そっと用紙を取り、ゆっくりとなにかを書き記しました。



『ごめんなさい、女だけにしてください』



 深町さまは頷き、静かにその場を去りました。彼が見えなくなるのを確認して、彼女は素早く返事を返してくれました。



『先生には言ったのですか』



『いいえ。あの方の似顔絵だとは言っておりません』



 ほっとしているように見えました。予想が確信に変わります。



 心の傷がある方にとっての心の支え。それは大切な人にほかなりません。私は違いますが、母はそうでした。私たちが大切で、だからこそつらい結婚生活に耐えたのだと。心中を吐露してくれることがありました。



 この方は恋ですのね。



『好きなのですか、先生が』



 なぜか、涙ぐみました。私は思わず駆け寄ろうとしましたが、信じられないほど体を跳ねらせ恐怖に怯えた瞳をしました。涙が多くなります。動けません。



『私はあなたを怒りません。絶対に。先生から聞きましたもの。あなたにひどいことはしませんわ』



 しばらく落ち着くまで様子を見ました。やがて、向こうから会話をしてくれます。



『聞いたんですか、わたしのこと』



『はい』



『それぐらい、信頼されてるんですね。うらやましい』



 そんなことはありません、と教えるのもちょっといやです。誤解を与えて諦めてもらうのはいけませんけど、でも、これぐらいなら。



『わたしに、わたしにもやさしくしてくれるようあなたから言ってもらえますか? ちょっとでいいんです。あなたにするようなこと、ちょっとでいいから』



「……」



『わたしを描いてほしいんです。わたしがいたって、あの人に残してもらいたいんです。わたしからは言えないから。言ったって、いやがられるだけだから。あなたなら、恋人なら、できると思って』



「……」



 私が返事を書く前に『ごめんなさい』と書いて、また『ずうずうしいですよね、わかってくれるって勝手に、ごめんなさい』と書き喚きました。



 そっと、その手を止めました。



 ただ頼みごとをするだけなのに。この人はそれも怖いのか、泣いて泣いて泣いて、自分で自分を傷つけているように思えます。



 ああ、それを実際に傷で表すしか、表現する術を知らないのですね。



『大丈夫です。わかります。頼んでおきますね』



 返事を書かずとも、彼女の表情が雄弁に語ってくれています。



 支えというよりはもう、それしかないのですね。それ以外のことは今は見えないのですね。悲しいことに。



 これだけ苦しそうに泣き笑いをするほどに。



『私はあの方の恋人ではありませんの』



 驚かれました。『告白しましたけど、振られましたわ。ほかに恋人がおられるそうです。でも、私は諦めませんわ。あなたも私と同い年なら、諦める必要はありませんわ。あとたった二年で、婚約できる年になりますもの』



 けれど水村さんはただ、絶望に顔を歪ませます。



『いいんです。叶うはずないって、わかってますから。わたし、うざいだけだもの。なにも知らないし、知ってもらってもいない。好きになってもらえる要素がないんです』



『でしたら、私が教えますわ。あなたのこと、先生に。先生のこと、あなたに。本人から聞きづらいことを、特に』



 初めて、純粋に近い笑みを浮かべました。それも一瞬で、今度はうれし涙に変わりました。



『ごめんなさい。ありがとう』



『いいえ。その代わりあなたが知ったことがあったら、私にも教えてほしいですわ。ライバルですもの。負けませんわよ?』



 笑い泣き……うれしいことを表現する際の水村さんは、なんて魅力的なのでしょう。ここでようやく、お母さまよりも長い流れる黒髪に、白磁のように白い綺麗な肌をしていることに気付きました。小さな唇、小さな鼻、そして大きめの瞳が羨ましくも思います。沈んでばかりなのが非常にもったいなく感じます。可憐ですわ……



「ぁ、ありがとぅ」



 え。……ああ、思わず声が漏れていましたのね。恥ずかしい。



 でも。



「水村さんはお綺麗ですの。もっと笑いましょう? 男の方は、笑顔の女性に悪い印象を受けませんわ」



「……うん」



 ──本当、なんて美しいのかしら。



 



 



 定期的に会う約束をして、病室を出ました。今は深町さまに会うのはいやだそうです。



 そうです。泣き顔は見られたくありませんから。



「どうだった?」



 少しの不安。自分を描いてもらったそのあと。それで満足して、今度は自殺を図るのではないか。そんな危惧が生まれます。



 そうならないよう、この方にも進言しておかなければ。



「お友達になれましたわ。詩音(ふみね)さんと仰るのですね。澄んだお名前ですわ」



「……ありがとう! 本当に……!」



 両手を強く握られました。ぶんぶんと振られます。こんな風に喜びを表現もするのですね……



「ああ、医者失格だな。自分の手に負えないからって」



「いいえ。そうは思いません。察するに……深町さまだけは、仕方のないことかと」



「?」



 好きな相手だから。恋しているから。傷つくことも多いのですから。



 母と楽しげに会話する姿が、いやでいやでたまらないのが私です。普通の女子はそうなのです。



 あの子も普通の子でした。ただ少し、手段を間違えているだけで。



「水村さんは深町さまに似顔絵を描いてほしいそうですわ」



「そう、か。うん、わかった」



「深町さま。それで終わりにしてはいけませんの。きちんと彼女を見てあげてください。もしかしたら、その……」



「そこで満足はさせないよ。それだけで終わらせない。絶対に」



「……」



 ああ、余計な心配でしたわね。この人がどうしてこうも慕われるのか、忘れていたようです。



「できたらでいいから、いつか、大きな傷をつけたこと、教えてもらって欲しい」



「はい。いつになるか、わかりませんけれど」



「ありがとう。本当に……なにかお礼をしたいんだけど、なにがいいかな?」



「それならっ……あ……」



 言えません。卑怯な気がします。あの子にも私にも。それなら……



「まずはそうですね、深町さまのプロフィールを用意していただけると助かります」



「プロフィール? 花雪ちゃんはもうそれなりに知ってると思うけど」



「いいえ。知りたいのです。いけませんか?」



「いや、お安い御用だよ。なんなら今すぐにでも」



「お仕事が終わってからで結構ですわ。なるべく詳しいのがよいのです」



「わかった。ちゃんと用意するよ。……ありがとう」



 最後にぎゅっと、力を込められました。



 いいように使われているだけでも、そこから好きになってもらうよう、努力してみせます。



 この方に限って利用しているだけなどというのは、ありえないとわかっておりますから。



 



 



 



 



 まゆちゃんは校庭でサッカーしてる。最近は、よく遊ぶ子たちなら大丈夫になってきた。この前授業参観に来てくれたことがうれしいみたい。お父さんだってみんなに言いふらしてたから。女子のお友達も、若くてカッコいいお父さんだってうらやましがってた。絶対みんな好きになってる。



 みゆもそう。憲邇(けんじ)さまがお父さんだったらいいって、ときどき考えちゃう。お父さんだったら、あの人たちからちゃんと守ってくれるから。



 最近は眠気は消えてくれた。ちゃんと授業も起きてられる。昔に戻ったみたいでちょっとやだけど、やっぱりぐっすり憲邇さまと寝てるからかな。



「あ、やっぱり。みゆっち、いっつもハーフパンツはき忘れてるね。どして?」



 久美(くみ)ちゃんだ。一緒に(ゆい)ちゃんもいる。あっ、あの、スカート引っぱんないでよぅ。



「だ、だって、みゆの好きな人が、ハーフパンツはあんまりかわいくないねって、言ったから……か、かわいいって言われたいの」



「でもぱんつ見えちゃうよ? 男子めくってくるヤツいるし」



「そーそー。みゆちゃんもまゆちゃんもどーしてはかないかなぁ」



「で、でも、普段からこうしてると、かわいくなれる気がするから。み、みゆはやなの。見られても大丈夫って油断するのは。す、好きな人の前ではしたないのはやなの。学校帰りに、よく会いに行くから」



「……はー、なるほど」



「オトメだねぇ、みゆちゃん」



「そ、そんなことないよ」



 それに、憲邇さまの言うことだし。絶対守りたいの。



「だからみゆっちもまゆすけも人気なんだねぇ。好きな人いるからかぁ」



 久美ちゃんは結構お友達にあだ名をつけてくれる。唯ちゃんをゆいゆいって呼んだりとか。



「確かに、スカートはいてるのに見えてもいいやってなるの、意味ないかも」



「んーそだね。下になんかはかないならそっかなぁ。みゆっちはパンツとかはかないよね? なんで?」



「え、だって、好きな人にはいろいろ見せたいもん。ちょっとくらい肌を見せなきゃダメだって、お母さん言ってたから」



「はーなるほど」



「恋するオトメは戦うオトメだからか。すげー」



「みゆっちは足ほっそいからいいよねぇ。あたしなんか男子けってばっかいたからすっげー太いんだよ」



 触って、って太ももを触らせられる。うぅん、でも、背がかなり違うからこれぐらい普通だと思うけど……



「なにがいいの? 足に太いとか細いとか、関係あったっけ」



「バッカでーゆいゆい、男はね、太ってる女に興味ないんだよ」



「え、マジ? うちの母ちゃんでぶんちょだよ?」



「それはね、結婚したからなの。結婚してから恋しないでしょ? なんかね、子供ができると油断して太っちゃうんだって」



「へー。じゃあ、あんまりもりもり食べちゃダメなんだね」



「そ、そんなことないよ。みゆの好きな人は、ちっちゃいうちはたくさん食べないと体に悪いって、言ってたから」



 最近ようやくご飯がおいしいって感じるようになった。憲邇さまがいなくても、おいしいものはおいしいって思う。憲邇さまがいるとすっごくおいしくなるけど。



「むむむ。お医者さんの言うことじゃ仕方ないなぁ」



「信じるっきゃないね。じゃあどうしたらいいんだろ」



「あたしもみゆっちみたく告白されてーなー」



「明日からハーフパンツはかずにスカートにする?」



「してみる? 確かにてっとり早くおしとやかになれるかも」



「めくられたとき怒っちゃいそうだけど、がんばってみゆちゃんみたくきゃあって叫ばなきゃ」



「オトメの道は険しいなぁ」



「そ、そんなにオトメじゃないよ。簡単だし」



「けっ。うらやましいことですな。ね、この前三年生に告白されたんだよね? 掃除場所一緒の人から」



「どんな人だった?」



「え、えと……剣道やってるって言ってた」



「カッコいい? ブサイク?」



「普通、かな」



「みゆちゃんの好きな人とどっちカッコいい?」



「好きな人」



「すぐ答えたね。そんなにカッコいいの?」



「うん。上山(うえやま)先生よりずっとずっとカッコいいの」



「えー嘘ー? あの人よりカッコいい人ってそんないないよね?」



「うん。この前来たまゆちゃんのお父さんぐらいでしょ」



 その人なの。その人が恋人なの。愛してるよって言われたの。おんなじにしてもらってるの。指輪までもらっちゃった。



 あ、やっぱり薬指さすっちゃう。



「ほんとにカッコいいの。好きで好きでたまんないから、余計そう見えちゃう」



「へぇー? 会いたいなー? 紹介してよ」



「だ、ダメだよ。とられちゃうもん」



「あ、バレた? ロリコンでもいいなー。カッコいいんなら」



「むしろロリコンだから安心だよ。浮気されっこないから」



「……」



 ろりこんじゃ、ないよ。今までの憲邇さまの恋人、ちっちゃい子いなかったから。ただみゆのわがまま聞いてくれただけ。好きは好きだけど、みゆが子供だからじゃないよ。



 まゆちゃんがゴールを決めた。楽しそうに笑ってる。まゆちゃんだって好きなのは子供だからじゃない。あんな風にかわいく笑ってるからだと思う。スポーツもできるし、お勉強もできてる。お料理だって、この前クッキー焼いたって言ってた。



 ……あれ。だ、ダメだよ。比べちゃうと負けてるとこしかない。みゆも、みゆだって好きって言ってくれてる。大丈夫。最初に告白したからなだけでもいい。



 まゆちゃんはがんばってる。みゆとおんなじことされた恐怖に負けないようにって。みゆもがんばらなきゃ。もう憲邇さまがいる。大丈夫……



 まゆちゃんがいなかったら授業参観来てくれたかな。みゆだけでも、来てくれたかな。



 好きかどうか確かめたくて、いっつも不安。会うたびに言ってほしいから自分から好きですって言っちゃう。憲邇さまはみゆが言うと絶対答えてくれるから。ときどき、憲邇さまのほうからも言ってくれる。それだけでいいのに、指輪ももらったのに、まだ足りないってわがままだ。ほんとに好きじゃないんだ。信じてないんだ。



 ごめんなさい憲邇さま。叱ってください。おしおきしてください。ダメなみゆを怒ってください。



「みゆちゃん?」



「……え」



「どしたの? すごい変な顔してたよ?」



「あ、ううん。なんでもないの」



 結構、言われちゃうな。もっとずっと笑顔でいられるようになりたい。



「そう? じゃあさ、とりあえずみゆっちみたくかーいーリボンつけてみよっか?」



「いいねいいね。イヤリングつけるの早いかな? ピアスは痛そうだからいいんだけど」



「んーどっかなー」



「いやあ!」



 三人して運動場を見る。まゆちゃんが、泣きそうな顔でスカートを必死に押さえてた。男子の一人がめくろうとしてる。悲鳴に気づいてみんなが見てるってわかると、慌てて手をはなした。まゆちゃんがへたっと地面に座って両手で顔を覆った。遠くにいた臼田(うすだ)くんが走ってって思いっきり殴った。怒ったのか、二人はケンカになって……



 まゆちゃんがしゃくりあげてるのが、教室からでもわかった。内ばきのまま運動場に出てく。久美ちゃんも唯ちゃんもついてきてくれてた。チャイムが鳴った。けど関係ない。



 そっと肩に手を置くと、ぎゅって思いっきり強く抱きついてきた。みゆは憲邇さまがやるようになるたけやさしく、抱きしめ返してみた。



「やめなさい、よ!」



 気持ちいい音を出して久美ちゃんがめくった人をビンタした。「んなことしてないであやまんなさい! えっち、へんたい、すけべ!」



「んだよ、この前臼田に見せてたじゃん。冗談じゃねぇか。平気だろ?」



「サイテー。まゆちゃんようやく男子怖くなくなってたのに」



「まゆすけはね、男の人にひどいことされたの。それで男子が怖いの。この前先生に教えてもらったんだから」



「そーだよ。先生、男子には言わなかったんだよ、もうまゆちゃんのお父さんが、一人一人話をしてるからって」



「こんなことしてたらまた怖くなんだろ。あやまれ!」



「やならスカートなんかはかなきゃいいじゃん。下になんかはいたり、ほかに着るもんいっぱいあんだろ」



「なんであんたなんかのためにこっちが我慢しなきゃなんないのよ。スカートはくのが悪いっていうの? めくるほうが悪いに決まってるじゃん」



「はいてるほうが悪いって。そんなんはいてサッカーなんかするから、ひらひらして集中できない」



「やっぱりえっちなだけじゃん! へんたい、どすけべ、いっぺん死んで生まれ変わってこい!」



「うるせぇよ! 女子ばっかなんでそんなひいきしなきゃなんねぇんだ」



「ひいきぃ? お前もっぺん言ってみろ。親と学校全部に言いふらしてやる。お前は女の子のぱんつ脱がそうとしたへんたいだって」



「ふざけんな!」



「やめて、よ……」



 どっちかが大きな声を出すたびに、まゆちゃんがびくってなる。涙がじわってしみてくる。立ち上がれない。



「そんなことしてたらまゆちゃんもっと泣いちゃうよ。静かにして」



「……」



「まゆちゃん、立てる? 帰ろっか。お父さんに甘えようよ」



「……」



「もう帰るなんてずりぃぞ」



 はじめて、人をにらんじゃった。



「あなたみたいな人がいるから女の子は泣かされてばっかりなんです。いやがってることを無理矢理しちゃダメなんです。反省してください。それから、二度と話しかけないで」



「……」



「まゆちゃん、行こ? いっぱい甘えようね」



「だっ、て……」



 こらえきれないんだ。口から悲しいって言葉がたくさん出てきた。



「だって、好きな人にカワイイって言われたいもん、ぎゅってしてもらいたいもん……あ、あたしの足、けんこうてきでカワイイって言ってくれたもん……細くないけど、きれいって……いいじゃん、普通にはいてたって、下になんかはくの、やなの……」



 頭をなでた。さらさらの髪が、苦しいよって震えてる。あ、先生が来た。



「どうしたの? もうチャイム鳴ったけど……まゆちゃん? 大丈夫?」



「スカートのがカワイイって、言われたの。はいてったら、喜んでくれたからあ……またしたいって、ずっとしてたいって思っただけだもん。違う人に、め、めくられるためじゃないもん……この人たちも、めくって、見たいって言うんだ。やだよ、気持ち悪いよお……憲邇さん……」



 大丈夫。大丈夫だよ。この人はえっちなこと知らないから、そこまでしない。そこまで見たいわけじゃないよ、って、言えなかった。



「なに、本田(ほんだ)くんスカートめくったの?」



「めくってない。めくろうとしただけ。そしたら、そいつが妙にいやがるから……」



「本田くん。尾方(おがた)さんのお父さんからちゃんと話を聞いたでしょう? 尾方さんはちょっと心が苦しんでるから、優しくしてあげなさいって」



「でも……」



「でもじゃありません。人の嫌がることはしないって、教えたでしょう? 言わなきゃならないことがあります。なにかわかるでしょう? 本田くんもいい子なんだから」



「……ごめん。もうしない」



「憲邇さんに会いたいよう……指輪はめてもらいたいよう……やだよ、ほかの人、怖い……」



「まゆちゃん。大丈夫だよ、もうしないって」



「……ほんと? もうえっちなことしない? やだよ、あんたに体触られるの」



「あ、ああ。やらない。ほんとにもうしないよ」



「ぱんつ見るのダメだからね。ぱんつの中見るのダメだからね」



「えっ……本田くん! あなた、どこまでしたの?」



「そ、そこまでしてないよ」



「ほかの大人の人はどう言うか知りませんけど、先生は女の子はいくつでも女の子だと思ってます。もちろん男の子もね。大切なところは見ちゃダメだし、見ようとしちゃいけません。いい?」



「う、うん」



「よし。尾方さん、大丈夫? ちゃんと謝ったから、許してあげようね」



「うん……」



 ごしごしと涙をふいて、みゆの手を借りて立ち上がった。



「ごめんなさい、迷惑かけて……もう大丈夫。授業もできるよ」



「あ、先生、みゆはもう、まゆちゃんは帰ったほうがいいと思います」



「大丈夫だよ。平気だって」



 平気じゃないよ。その笑顔、全然変だよ。こんなにがんばってるのに、どうしてまゆちゃんはむくわれないんだろ。



「そうね……」



 先生が臼田くんになにか内緒話をした。頷いた彼がまゆちゃんに近づくと、やっぱりまゆちゃんはびくって後ずさりした。



「ほら、無理ね。帰っていいです。お父さんまだお仕事だろうから、病院まで送ってってあげてもいいわ」



「あ……ごめんなさい」



「謝ることじゃないのよ」



「うん……おうちに、帰ります。お仕事の邪魔はしたくないから」



「そう? でも、あなたのお父さんなら呼べばすぐ駆けつけてくれると思うな」



「ううん、いいの。憲邇さんに治してもらいたい人たくさんいるの、知ってるから。あたしは帰ったら会えるし、いいの」



「……偉いわね。本当に。よかったわね、あの人がお父さんで」



「うん。毎日一緒のベッドで寝てるの。憲邇さんのうでまくら寝心地よくて、起きたらお母さんと三人一緒に手つないで歩くんだよ? 毎日起きるのが楽しみなんだぁ」



 みゆとおんなじだ。憲邇さまのことだといろんなこといっぱい喋っちゃう。それぐらい好きだから。



「そう。よかったわね」



「うん!」



「じゃあ、先生と一緒に帰ろっか。眞鍋(まなべ)さんはまだ授業があるし。はい、みんなも教室戻って。あとで代わりの先生が来るから」



「はーい」



「尾方さんは先準備して玄関で待っててね。すぐ行くから」



「はーい」



 なんとかかんとか、まゆちゃんは歩けてた。みゆもそっと隣を歩く。でもちょっとふらふらしてた。帰りの準備もすぐ近くにいて、なるべく男の子を近づけないようにした。手を振って教室から見送った。みゆより十センチも背の高いまゆちゃんのランドセル姿が、やっぱりしぼんで見える。



 憲邇さまに、戻してもらわなきゃ。



 



 



 



 



 憲邇さんにほめてもらうためにがんばるのは、いけないことなのかな。憲邇さんに甘えるためにがんばっちゃ、いけないの、かな。せっかくがんばってもほかの人にえっちなことしたいって迫られるんじゃ、しないほうがいいのかな。そしたらほめて、くれ、うあ、考えたくない。



 あの人はほめてもらうためにがんばるんじゃないって言ってた。よくやったねって、言ってほしくなかったみたい。あたしはこんなに、言ってほしいのに……憲邇さんにほめてもらえるなら、やわらかく頭をなでてもらえるならなんだってできる。おいでって言ってもらえるなら、どんな格好だってする。



 憲邇さんに、包まれていたい。なにもかも忘れて、ずっとあの人の腕の中にいたい。ほんとは、ほかの男の人なんか目があうのもやだ。これから学校の行事で一緒になにかをするのは考えたくない。お買い物も、レジの人が男の人だったらなにも買わずに帰っちゃう。がんばりたくない。無理して話したあとに、無理して笑ったあとにあんなことされるんだったら、なにも話したくない。



 でも、憲邇さんのためならがんばれる。どんなことだってやれる。なのに、憲邇さんはがんばらなくていいよって言う。無理しないでって。わからなくなる。どうしたらいいのか。がんばっちゃいけないのかな。あたしががんばると、憲邇さん迷惑かな。



 もうずっと前から、流れ星に世界中の男の人が憲邇さんになってくださいって願ってる。



 ああ、苦しくて息がつらい。指輪、指輪見よう。冷たくて気持ちよくて、ながめてないと泣いちゃいそう。早く結婚したい。形だけとかどうでもいい。結婚したい。前みたいに名前だけで呼ばれたい。お前って呼ばれたい。だんなさんって呼びたい。式あげようよ。ウェディングドレスもいらない。頭にのっけるやつだけでいい。指輪もこれでいい。憲邇さんには……ああどうしよう。あたしが買えるのなんてないんだ。



 また、子供だから……



「どうしてあたし、まだ七歳なんだろ……なんで憲邇さんはもう二十も上で、あたしは、こんな……」



 触っても胸になんにもない。子供であることがこんなにくやしいだなんて、思わなかった……



 ねぇ、あたしくるくる回ってるよ? 見つけてよ。カワイイって言ってよ、抱いてよ……めくりなさいって、キスもして、触って……



 周りの人が大人で美人にしか見えなくなった。モデルの人なんか憲邇さんと同い年に見える。あれだけ美人なのに、目も大きくて肌がすべすべなのに、どうして憲邇さんと別れたんだろ。あんなに、お、お似合い、なのに……



 黙ってなさいって言われた。あたしなんか眼中にないんだ。みゆちゃんにも好きな人聞かなかった。あんなに言っても、子供だからしょうがないねって、先生とおんなじ顔をする……もうごっこなんかじゃないのに。ほんとに、心と体でつながってるのに。



 あのお姫さまみたいな人とどうして結婚しなかったんだろ。お姫さまには王子さまだから、憲邇さんならぴったりなのに。めちゃくちゃおしとやかでおんならしくて、大人なのにカワイイのに。そりゃ、娘さんはあたしみたくいやがるけど。



 なんであたし、お母さんに言っちゃったんだろ。それさえなかったらなんにも、変わらなかったのに……



 憲邇さんが帰ってきた。今日は良子さんもいない。あたしと憲邇さんとお母さんだけ。だれも来てない。お母さんも今日は遅くなるって言ってた。



 二人っきり。



 ……



「ただいま、まゆちゃん。お留守番ありが」



 かがんだ憲邇さんに無理矢理キスした。もう開かなくなったお口に舌を入れようと力をこめた。でも、憲邇さんのお口は開かなくて……



「……ねぇ、憲邇さん。あたし、我慢できないよ……つらいよ、毎日つらい……こんなんじゃたりないっ、いいじゃん、お母さんいないってえ……」



 話しちゃう。今日あったこと、泣いちゃったこと。スカートめくられそうになったこと。一人でずっと、憲邇さんのお部屋で待ってたこと。そのたびに憲邇さんはつらそうな顔をする。あたしのつらさが伝わってくれてる。わかってる。なのに……



「指輪、くれたけど、こんなに、きれいだけどお……たくさんいるもん。九年は長いよお……あんなカッコいい人が、あんなにかわいくなるんだよ? そんなに憲邇さん好きで……ねぇ、命令して? がんばりなさいって言って。がんばったらごほうびあげるからって、言ってよ」



「……言えないよ。ここまで頑張っている君に、それ以上のことなんて言えない。……ありがとう」



「……」



 涙がぴたって、止まった。……な、んだろ。胸が、熱いよ。のどが熱い。じわじわくる。苦しい。気持ちいい……ぎゅって、上から憲邇さんがかぶさった。



「頑張ってくれてありがとう。まゆちゃんが好きで嬉しい。ありがとう」



「うん、うん……」



 それ以上の言葉は、なかった。



 キスの味が、レモンジュースになってた。



「えへへ……ごめんね、迷惑かけ」



「まゆちゃん」



 ほっぺをつねられた。「次謝ったりしたら、体中くすぐっちゃうからね」



「……うん。ありがと。もう大丈夫だよ。また落ちこんだら、はげましてくれる?」



「もちろんだよ。好きな女の子が落ち込んでるのに、ほっとく男はいないさ」



「ありがと!」



「でも、私はなにもなくてもありがとうを言うよ。欲しいとも言う。言いたくてたまらないから」



「……うん」



「……ね、お母さんどれぐらいに帰ってくるって言ってた?」



「えっと……」



 時計を見る。あと一時間ぐらい、大丈夫かな?



「まだ大丈夫だよ」



「じゃあ、スカートめくってよ。パンツは見えなくていいんだ。太ももが見たい」



「……えっちい」



 ほんとはぱんつ見たいくせに。でもそれなら、お母さんが来ても大丈夫かも。あたしはそっと、ふわふわスカートの裾をあげてった。



 この人ならいいんだ。この人だけにこうしたいから、スカートなの。



「やっぱりまゆちゃんの体は綺麗だね。あんまり細くないけど」



「な、なんだよ、またそういうこと言う? ひっどいなー」



 みゆちゃんが細すぎんだよ。もっと太い子、クラスにもいっぱいいるのに。



「ふふふ。でもね、こういう、むちむちした太もももいいんだよ。言ったっけ、健康的でとってもかわいい……」



「ありひゃぅっ」



 急に憲邇さんさすったぁ……思わずはさんじゃったよう……



「ごめん、触りたくって」



「へ、へんたいい……」



「ふふふ。すべすべだね」



 そのあとも憲邇さんったら、そわそわって太ももなぞるんだ。そっと触るから、びくびくって、なっちゃう。なんか、やらしい……ううん、憲邇さんの手つきがやらしいんだ……こういう、えっちじゃないのにえっちっぽいことも、できるんだ……不思議だな。



「憲邇さん……んっ……」



 これできるんなら、くわえなくてもいいかも。おっぱいとお尻とあそこ以外触ってくれるんなら、いいかも。あっちこっち、憲邇さんは触ってくれた。ほっぺもいいけど、やっぱり、太ももが一番びくびくする。



 あたしのことほしいって思ってる。ほしいけど我慢してるんだ。あたしのために。憲邇さんは大人だから、ちょっとずるすることを知ってる。また少しヒミツの関係。ドキドキしっぱなし。



 最後に、ぎゅっと抱きしめてくれた。



「毎日触りたくなるかもしれないけど、触らせてくれる?」



「うん、もちろん!」



 憲邇さんがあたしのしたいことをしたいって言ってくれる。うれしかった。



「それと。私と二人きりだけだったら、ぜひ指輪を嵌めさせて欲しいな」



「……うん!」



 あたしのしたいことがわかる、憲邇さんが大好き。



 そっと、指輪をはめてもらった。……あれ、おかしいな、また、泣いちゃう……うれしいのに……



「ねっ、ねっ、二人っきりの時間、ときどきにして? 毎日とか、三日に一回とかはやだよ。特別じゃなくなるよ……」



 ハートの形を本物にするのは、いつもじゃなくていい。いつもになるのは、将来がいい。今は半分でいいの。ときどき、憲邇さんと二人でぴったり合わせて、本物にする。



 それに、泣き虫になったあたしを、あんまり見せたくもないの。



「うん。わかった。特別だって思うときにするよ」



「うん……ね、あたしのこと」



「まゆちゃんを特別だって思ってるからね」



「あ、う……うええええええええん……うええええええええん……」



 ひどいよ、言ってほしいって言う前に、言わないでよ……ますますうれしいよお……



 この人を好きになってよかった。この人に好きになってもらってよかった。がんばって告白してよかった。あの日、みゆちゃんとの見ちゃってよかった。



 たくさん泣いちゃった。ずっとずっとぎゅうってしてた。見つめあって、うっとりしてる。



「……大好きだよ」



「うん。私も大好きだ」



 お母さんが帰ってくる声が聞こえて、憲邇さんは最後にそっと、指輪にキスをしてくれた。あたしの手をとった憲邇さんの手を、強引に抱きこんだ。



 はなさないよ。



 



 



 



 



 だってうれしいから。こうしていられればあたしはもう後悔なんてしないと思う。



 結婚にあまりいい期待を抱いてなかったあたしは、今の関係で充分満足できてる。一生あの人の奴隷でいられたらきっとしあわせだ。



 きらりと輝く証を見つめているのは、充足に満ち満ちる笑みしか浮かべられなくなる。蜜月を生きる今が青春であたしはほんとにしあわせものだ。



 教室のみんなは初めての受験が多く勉強に苦しんでる人ばかり。あたしのようにイライラしない人は少ない。受験のことで頭がいっぱいで、親と先生のプレッシャーでいっぱい。それ以外のことに目を向ける余裕なんてないみたいに見える。まだ六月だっていうのに。



 遊ぶことに夢中な人たちもいる。その人たちは大抵諦めて自分のいけるところを焦点にしているか、もしくは余裕のある人たち。前者と後者は相容れず、三年になって生徒同士の交流は少し疎かになってる。



 元々復学したあたしは、その理由も公然となっているからまだ近づこうとしてくれる人はいない。休み時間もグループ行動もほぼ一人。つらくないわけはないけど、間違ったことに代償は必要だと思う。唯一、大悟(たいご)だけは変わらず接してくれるけど。



 友達はほしい。でも今、余裕のある人はあまりいない。一歩を踏み出す勇気と麻薬と決別する勇気はまた別だから、今は、まだ。



 それよりも指輪を眺めてたい。クローバーの白い輝きに目を奪われてもうずいぶんたつ。不思議。指輪ってどうして、こんなにきれいなんだろ。



 これと、家にあるものと。将来もらえる、本物の婚約指輪に思いを馳せて。今はこれだけに包まれていたかった。



「おい、静香(しずか)



 顔を上げると大悟がいた。「なに見てんだ? 机の下になんかあんのか?」



「なに?」



「あのさ、女が機嫌治すのに必要なアイテムってなんだ?」



「ケンカでもしたの」



「ああ、この前誕生日だったんだけど、なにもしなかったらすげー怒られた」



 そりゃそうだ。こいつの彼女は多分記念日を大切にする普通の子だと思う。あたしもそうだけど、でもそんなことで怒ってあの人を責めることなんてできそうにない。



 軽く髪をかき上げてから仕方なくアドバイスをしてやる。「ちゃんと謝って高いプレゼントなさい。お小遣い全額はたけばわかってくれるわよ」



「……」



「なに? スポーツマンなら間違いはきちんと謝るべきでしょ?」



「……なんだよ、それ」



 大悟が指差した先には、あたしの左手があった。陽光に反射する白い輝き。今まで誰も指摘しなかったから気づかないものだと、思ってた。



 でも。今さら隠すことでもない。プレゼントしてもらった日から堂々とつけてるし。少し自慢でもあるから。



「なにって、指輪じゃない。それ以外に見える?」



「いや、どこつけてんだよ」



「左手の薬指」



「……お前、まさか」



 そこでチャイムが鳴った。続々と席につくほかの生徒たち。大悟はもちろんほかのクラスで、すぐに出て行かなくちゃいけない。なのに動こうとしない彼に、そっと言ってみた。



「来年の誕生日まで待ってるって。言ってくれたの」



「……」



 うわ、すごい変な顔してる。あはは。初めて見たかも。「ほら、教室戻んなさい。あたしと話してると変な目で見られるわよ」



「……」



 すごすごと退散していく。先生と入れ替わりに出て行き、その先生が心配顔で大悟を振り返っていた。そんなに? なんでだろ。



 ともかく、あたしは証を外す気にはなれなかった。



 



 



 授業が終わり、部活動の時間。運動部は今年最後の残り少ない時間を大切にしようと励んでいる。彼彼女たちは将来、今の経験を活かすのかな。それとも普通に就職の道を選ぶ?



 あたしは将来なにになりたいか。できたら、できることなら、もちろんせんせの妻がいい。遅ればせながら家事を手伝うようになり、曲がりなりにも朝食を作らせてもらえるくらいにはなった。けどまだまだ。とても良子(りょうこ)さんの域には達していない。だからあたしもメイドができればいいとは思う。お給金はいらない。あの家で暮らせてもらえるならなにも。そう、これ以上あの人からもらうことはちょっと悪いかなって思う。



 現実的にどちらも不可能だとわかっているから、進学先も検討してる。今からできること。今からなら間に合うこと。



 看護師になること。



 あたしに言わせれば一択しかない。それ以外のなにを選べっていうの。暗い経験だってそれなら活かせる。パパもママも反対なんてせず、むしろ諸手をあげて喜んでくれたっけ。



 なので今日もお勉強。家でじっくり今のうちからやっとかなきゃ。今まで散々お金をかけたんだから塾に行かせてもらうわけにはいかないし。なにより、まず基礎の基礎からでないと、あたしの学力は底辺なんだから。



 鞄に教材をしまっていると、大悟がうるさく走ってきた。



「おい、帰るぞ」



「うん。なに、どうしたの」



「いいからっ」



 強引に手を引っぱられ、慌てて鞄を持った。



 大悟が連れてきたのは喫茶店みたいだった。奥のほうに行き、ほかからはあまり話も姿も見えないところに座る。



「どうしたの」



「誰だ、相手は」



「せんせだよ?」



 なにを言ってるのかぐらいはすぐわかる。過ごした年月はいつまでたっても減ることはないから。



「あ、これ、本物じゃないからね。せんせは将来もっといいのくれるから」



「……知ってるのか、お前のおふくろと親父さんは」



「あたしから言えないよ。それにまだ、あたしは子供だから。気が変わるかもしれないし、あたしのほうだってほかに誰か好きな人できるかもしれない。十六になるまでわからないの。でも、十六になったら。せんせからちゃんと言ってもらう」



「……」



 いいじゃない、これくらいの嘘。あたしだってほんとはそっちがいいのよ。まゆちゃんのママになんて奪われたくないの。あんたの前くらい、あの人の婚約者でいさせてよ。



「お前、結婚になんて憧れてないって言ってたじゃねぇか」



「うん。でも、できるのにしないのは贅沢だし」



「……お前が、若い、だけだって」



「うん。わかってる」



「……お前が、美人だから、それだけ、だって」



「そうかな」



「お前がっ、あいつに治療されたから、言うとおりにするしかないってわかってるからっ。したが最後なにされるかわかったもんじゃ」



 きつく、目を細めた。



「……俺……結婚詐欺って、この世で一番の犯罪だと思うんだ」



「あたしを騙して、それでなにを得るの?」



「……」



 なにもない。家が裕福なわけでも、せんせがほしいものを持っているわけでもない。むしろ逆で、普通心配されるのはせんせのほうだと思う。



 騙されたとあたしが言えば。確実に大きな被害を受けるのはせんせのほうだ。



「なーに、男はやっぱり未練がましいのかしら」



「そうだよ」



 あ、認めやがった。「好きだった女がいけ好かないやつのとこへ嫁ぐのが面白い男はいねぇよ」



「好きだった男が好きだった女のしあわせを喜べないのも、あんまり面白くはないかな」



 もうあたしは十五になるのに。まるでまゆちゃんの両親が反対したのと同じことが起きるなんて、考えたくなかった。



「……結婚なんてしたら、もう誰も助けてくれないぞ」



「うん。わかってる。ありがとね、あんたの心配性も、今になるとちょっとうれしいかも」



「っ……」



「ごめんね、結婚は多分、できないと思う。ここにしてるのはあたしの意地なの。せんせにはたくさんいい人がいるから、あたしが選ばれることはないと思う。でも、してたいから。見逃して」



「……わりぃ。ほんと、ごめん……!」



 久しぶりに大悟が深く頭を下げた。昔からスポーツマン気質が高かった彼は、弾みであたしを泣かせるとはこうして謝った。最近はめっきりそんなことはなくなり、もう見ることはないと思っていたのに。



「ううん、いいから。ね、もし結婚できたら、ちゃんと祝ってよね」



「……ああ、もちろん。幸せにするって約束しないとぶん殴ってやる」



「あはは。うん、お願い」



「お前の両親は手強いぞ。俺は黙っとくけど、あいつは勝てるかな?」



「そうだね、勝ってもらわなきゃね……」



 あたしは不思議と、この白いきらめきに負ける気はしないと断言できるのだった。



 



 



 第一、両親は指輪のことになんて一切触れてこなかった。食事時にも着けてるけど指摘されたことなんてない。半分認めてるのかな? 相手が誰とかも聞いてこないし。単なるファッションと思ってるのかな? そんなわけないか。着けてるとこ左手薬指だし。



 今日の夕飯はあたしが作ってみた。やっぱり、ママの味にはまだまだ遠い。良子さんに至ってはもっとだ。こんな調子だと先が思いやられる。早く上達しなきゃ。



 明日抱いてもらえるし、今日は早く寝よう。なに着てこうかなぁ……



「静香」



 食事を続けながらパパが話しかけてきた。



「静香は最近看護師になる勉強をしているんだよな?」



「うん。そうだけど」



「それとその指輪と、関係はなにもないよな?」



「……ないよ」



 気づいてて黙ってたんだ。あたしは慣れた嘘を続ける。「単純に看護師になりたいだけ。あたしみたいな人の助けになれるかなって」



「そうか。それは立派だな。あの医者に憧れたままじゃないよな?」



「……しつこいよ。言ったでしょ、恋人にしてっていう、あれはもう終わったの」



 あの雨の日の出来事は一時的な激情なのって、あとで言いくるめてる。ママだってそっちのほうがいいから安心してくれた。ずっと続けてる嘘にもすぐ、慣れた。



「じゃあ今も泊りがけなのはなんでだ?」



「仲良しになった子がいるの。その子と一緒にいたいだけ。その子と同じ部屋に泊まってるから、変なことはないよ」



「……そうか。しかし、あの家の主人は大人の男だ。気をつけるに越したことはないぞ」



「うん。わかってる」



「ついでに聞こうか。その指輪はなんだ?」



 きた。大悟の言うとおり、手強いかもしれない。でも譲れない。これだけは絶対に。



「プレゼントしてもらったの。それを着けてるだけ」



「静香はもう十五でしょう。そこになにを着けるか、わかってるじゃない」



「うん。わかってる。そういう意味でプレゼントされたんじゃないけど、そういう意味にしたくて、着けてるの」



「……」



 そっと、指輪を握り締める。「ここにしてれば、あの人は私の気持ちに気づいてくれると思うから。勝負してる。重いって言われるまでやるから」



 実際、せんせがただのプレゼントで指輪をくれたとしても、ほんとにそのつもりで薬指にはめると思う。せんせなら絶対重いって言わない。思わない。むしろうれしがるよ。そうじゃなきゃ受け止めてくれるはずないから。



「そうか。頑張れよ。それなら相手の前で時々にしたほうが効果は高いんじゃないかな。普段から着けてると誤解されるぞ」



「そうね。ダイちゃんに誤解されると大変だわ」



 拍子抜けするくらい、簡単に勝っちゃった。あ、騙しちゃったかも。最近、両親が妙にあたしに甘い気がする。なんかしたかなぁ?



「あいつはあたしの変化なんて気づいてないよ。小学校のとき髪形変えても全然気づかなかったし」



「そうねぇ。それで怒った静香が思いっきり蹴っちゃったのよねぇ。覚えてるわ」



「それで負けないために大悟君は空手も始めたんだっけな。陸上との両立は大変だろうに」



和也(かずや)、陸上を始めたのは中学に上がってからですよ。もう年ねぇ」



「最近、本当に物覚えがなぁ……」



 確かに、最近なにかと弱気かも。父の日のプレゼントに泣いてたし。しょうがないから、笑って元気づけさせてあげる。



「パパ、ご飯終わったら肩揉んであげる。背中足でマッサージしてもいいよ」



「お、ほんとか? 助かる、頼むよ」



「ふふ。しょうがないわねぇ」



 四人家族は笑うようになった。以前のあたしがどれだけ亀裂を作る親不孝者だったかよくわかる。少しずつでも取り戻していかなきゃ。



 そのために、いっぱい抱いてもらお。



 



 



「ご主人様、お仕事で大変なこと、あったそうですね」



「……」



「なあに、なにがあったの?」



 泊まってくわけじゃないけど、夕飯を良子さんも一緒にしてくみたい。同棲してる尾方さん親子は、今日は別の部屋で寝てもらって。あたしは黙って子作りを心待ちにしていた。



「お電話がありました。相良(さがら)さんからです。『あいつは今落ち込んでるから、励ましてやってくれ』だそうです」



「うん、確かに大変なことはあったけど、食事時に話すことじゃないよ」



「あたしたちは別に気にしないよ? ね、お母さん」



「ええ」



 良子さんもあたしも頷いた。「……わかったよ。実はね……」



 ……あたし以外の三人は理解しづらいみたいだった。特に良子さん。まゆちゃんは単純にわからないらしく、絵里さんは大人だからこそ理解できないというか。あたしは唯一、年齢も近く、似たような境遇なだけになんとなくだけどわかる気がする。あたしは麻薬に逃げた。その子は自分を傷つけるという行為に。その子にとっての麻薬が、自傷というものなんだろうって。もっとも、痛いことをするのをどうして麻薬のように繰り返そうとするのかは、わからないけど。



「あなた、万能な人間なんていないわ。誰しもがミスをする。理由がわからないなら、わかろうとすればいいだけよ」



「でも」



「例えわからなくても、わかろうとしたことを、その子はわかってくれるわ。お互いに信頼関係があるなら、それで充分なのよ」



 ずきんと、心が痛い。この二人に間に信頼関係があることに。ほら、まゆちゃんも良子さんも苦しそうにしてる。



 今一番憎いのは尾方さんで、次が良子さん。実は次がまゆちゃんという、嫉妬心の塊のあたし。でもそれより大きいのはうらやましいという気持ちと、負けないという気持ち。あたしはまだ子供だから、まだまだチャンスはある。負けない。同じくらいに愛してみせる。



 せんせの愛情は、全員に平等だってわかってる。平等じゃないのはあたしたちのほうだから。



「ほかの人に助けを求めるのだって別に悪いことじゃないでしょう? あなた一人で治療できるわけないじゃない」



「それはスタッフならそうだけど、でも一般人なんだ」



「あなたが認めたならいいでしょう? 病気を治すためならどんなことだってしていいわ。犯罪じゃないならね」



「そうです。せんせはがんばってます。後悔してもいいです。あたしたちが慰めますから。一緒にがんばりましょう」



「……ありがとう」



 せんせが笑ってくれると、みんなが笑顔になるんだ。せんせが落ち込んでると、みんな落ち込んじゃう。だからあたしたちが笑わせないと。あたしたちをせんせは、たくさん笑わせてくれたから。



「ご主人様は完璧主義者なんです。いけませんねー。今日は静香ちゃんに思いっきり甘えるといいですよ」



「うん」



 やった。言い切った。がんばろう。あたしの体、もつかなぁ……



「やだやだ、お盛んなこと。四人いるんだし、いっそ5pすればいいのに」



「尾方さん」



「はーいごちそうさまー」



 食器を持って不機嫌そうに尾方さんは部屋を出て行った。あの様子だと、ほんとにまだ抱かれてないんだ。ふぅん。なんでだろう。



 食事が終わると早々にあたしは部屋に呼ばれた。



「いやぁ、この前知ったんだけど、すごくいいのがあってねぇ。あ、ごめん。もう少しで終わるから、待ってて」



「はい」



 しばらくの待ち時間。少しうずうずしだした頃にせんせのよしという声が聞こえた。



「じゃあ、ちょっと部屋を出よう」



「?」



「今日はね、良子が泊まってくんだ。今はコーヒーを淹れてもらってる」



 廊下を歩きながらそうせんせは言ってくる。なんでそんなこと今話すんだろ。



 せんせの家はキッチンと食堂が隣り合ってる。どこも大抵そうだろうけど。食堂まで来て、せんせはにっこりと笑って言った。



「じゃあ、ここでしようか」



「……え」



 ずいっと、至近距離まできて。「聞こえるくらい喘ごうよ」



「……いいですよ」



 あたしは自分からすっと腕を首に回した。「良子さんなら聞かれてもいいです」



 自慢したいかも。そりゃ、恥ずかしいことは恥ずかしいけど、同じ間柄の人にはばかることもない。



「ふふ。さあどうかなぁ。でも、いい子だ」



「んっ」



 せんせはキス魔だ。キス好きの中のキス好きで、こういうときにまず長くすることが多い。舌と舌でまず気持ちよくなるみたい。背の高いこの人がかがんで唇を合わせにきてくれるのがすごく好き。というか、舌の動きがすごくえっち。ぐねぐねっとうねらせて、こっちの舌の裏を舐めるし、ねじまげてぎゅうってするし、口の中の上のほうまでまさぐってくる。こっちは相手するので精一杯で、蹂躙されてく口の中がとっても熱い。せんせの唾液の味はあたしと違う。舌の上に感じるたび、飲み込むたびぞくぞくしてくる。



 ……ときどき、急にふっと目を開けるとせんせが閉じてキスしてくるのがこっそり見れる。せんせには言わない、あたしの密かな楽しみ。気持ちよさそうなちょっとだらしない顔。ふふ、やっぱり愛しいって思う。



 戸は閉まってるけど、聞こえてるかな? あたしたち、こんなキスしてるんだよ? 同じかな? すごくちゅぱちゅぱくちゅくちゅ響いてると思うけど。いい音だな。ふふん。



「ぷぁっ……」



 ようやく、口が離れた。間に透明な細い橋ができる。せんせを見上げて、してほしげな誘う表情を作った。すっとスカートの下から手が入ってきてくれる。それは下着の上からそっとお尻を撫で回してくれた。



「んっ、あ、んっ」



 左手がずっとお尻を刺激して、右手が正面に回った。顔が胸の辺りの匂いをかいで、はぁって息をつきながら動いてく。



「ダメ、ダメ、お尻やさしく揉んじゃ、ダメ……んっ!」



 口を塞がれてないといろんな声が出ちゃう。これ、絶対聞こえてるよ。良子さん羞恥心強そうだから、恥ずかしいんじゃないかな……



「戸、開けてよ」



「え」



「直接聞かせなくちゃ」



「……そ、それはさすがに」



「恥ずかしい? なら、やらなくちゃね」



「……憲邇様って、変態ですよね」



「そうかな? 普通だよ」



 絶対普通じゃないと思いますけど……あたしはそっと、戸の前に立たずに横手に開けた。



「ご主人様? もうちょっと待っててくださ」



「んぁっ」



 せんせの指がそっとお尻の穴を撫でた。ダメです、よっ、そっとしたり、ふわふわってするの、反応強くなるんですから、あっ。



 顔が耳の横、あたしにだけ聞こえる小さな声で囁く。「静かにしなさい。聞こえたら静香が変態だって思われるよ」



「そ、んなこと、いっ、んっ、たってっ、あっ」



 声は出ちゃう。いつ、お尻の穴に指かアレか挿入ってくるのかわからなくて心の準備が大変だ。挿入ってくるかも、まだ? どうなるの? って、焦らされ続けて安心と恐怖がごっちゃになる。お尻からは透明なものは出ないと思うし、本当にできるかどうか不安だから。ダメなお尻だったらどうしよう、って。



 でも、やっぱり感じてる。



「……」



 そっと歩いてくる音が聞こえる。やだ、ダメ、さすがにこれを見られたくない。あそこをいじられて出る音が聞かれるのもやだ。自分の声だけならいいけど、でも、この音、興奮しかしないから……



「好きだよ、静香。静香は私のこと好き?」



 ひどいです、こんなときにそんなこと……「好きですっ、んっ、大好きですっ」って、答えるしかないのに。



「あ、あの、ご主人様……?」



「ねぇ、静香はお尻をどうされるのがいいんだっけ」



「……」



「ご主人様、あの、静香ちゃんのDVD、こんなところで観ないでください。今日の夜、ちゃんと相手してあげるんでしょう?」



 ほら、ほら、良子さん怪しんでる。こっち来ますよ。見られます。やです、服着てますけど、こんなの、いや……



「言わないなら抱き上げてキッチンまで行こうか」



「あ、あ……叩かれるのが好きですっ」



 まだ挿入(はい)ってないのに、涙が出てきた。ひどい、こんなの……そ、それで、身体が慣れちゃってるから、せんせに愛撫されるのいつもどおり気持ちいい……いつも以上じゃなくて、よかったけど……



「ご主人様! せめて私のを観てください! ひどいですよ」



「引っぱられるのは? 撫でられるのは嫌い?」



「い、いいです、してください、存分にしていいですから、お願い、良子さん……」



「大丈夫、良子は来ないよ。来たら追い払ってあげる。じゃあ、存分にやりたいから自分でスカート上げてお尻見せてよ」



「はい……きゃっ!」



 パンって、お尻を勢いよく叩かれた。「どうかな、もうちょっと強いほうが気持ちいい?」



「ひど、あっ、い、んっ、やめ、てっ!」



 叩くたびに、濡れたあそこに入った指がぐっ、ぐって奥に入ってく。ああ、やだ、叩かれるの、聞かれてるのに、痛みを感じるたび痺れが走ってく。だって、耳もとでまた、こそこそって「叩くたび濡れてくね」とか、「かわいい声」とか、言うから、あまつさえ、「静香」って言うからっ。ぞくぞくする。やっぱりあたし、声で感じるんだ。



 ……もっと言ってください。もっと愛してるってわかること、言ってください。



「柔らかいお尻、もっと叩きたい」



 そうやって、愉しんでる顔でもっともっと。



「……わかりました。止めないんですね。ご主人様がその気なら、私だって勝手に気持ちよくなります」



 ……え? あれ、なにか、しゅるしゅるって衣類を脱ぎ捨てる音が聞こえる。



「早く襲ってくれないと、勝手に大声で喘いじゃいますからっ」



 ええっ? りょ、良子さんって、そんなえっちなの? 意外……



「ああ、良子はそういうビデオを観てるとこには来れないのか。よかったね」



「……」



 よく、ないです。「あっ」ほら、変な声、「あっ」良子さんの高い綺麗なの、一緒になっちゃ、



 ほんとにそっち襲っちゃう……



「後ろ向いて」



「……はい」



 お尻を丸出ししたまま、せんせに背を向けた。自分からかがんでお尻を突き出す形をとる。



「静香は後ろからやられるのが好きなんだよね?」



「はいっ、後ろから突かれて、お尻パンパンって鳴るの、好きですっ」



 できるだけ大声で言った。ちゃんと聞こえるように、DVDなんかじゃなくて、ほんとに今してるって、わかってもらわなきゃ。



 低い、声が響く。



「今日はなにも言わなくていいから、存分に喘いでね。キスも終わるまでしないよ。静香の嬌声をずっと響かせるんだ」



「……はい」



 こういうえっち、なんですね。聞こえるかも、じゃなくて、聞かせるえっちなんですね。まだ最初だから良子さんだけど、きっとこれ、将来なにも知らない他人になるんだ……



「んっ、あっ!」



 すうっとせんせのが挿入ってきた。あたしの身体、完璧にせんせを受け入れるためだけに変わってる。挿入って動いてくのを離さないように奥へ奥へと、あそこがいざなってる気がする。ああ、どうしよう、すごく気持ちいい……



「あんっ、んんっ……あっ、んーっ、んっ、あっ」



「あっ、あっ、ご主人様、ひどいですぅ……もっと仲良し、仲良ししましょうよ……」



 負けない、負けないから……あたしだって、あなたと同じように仲良ししてるの。同じように子作りしてるんだから。あたしで気持ちよくさせる。今はあたしを使ってもらってるんだから。



 夏に汗だくで、少し疲れてきた。まだ子供だからか、以前の悪習のせいか、えっちはするのが疲れてしまう。せんせがもし、自分を抑えてるんだったら、もっと運動しないと……



「けんっ、はっ、じさ、まっ」



 せんせのはやっぱり大人のだから、なにか奥にあるのに当たって、足りないって思ってるはず。もっと大きくなりたい。良子さんならきっとぴったりだと思う。小さくて狭くないか、ちょっと不安で、でも、



「きつくてよく締まるね。えっちな身体してる」



 なんて言われると忘れちゃうけど。



「はい、そこ、そこです、そこがいいんです……あっ、ダメ、今日、危ない日だから……」



 ああいうの、なんていうえっちのやり方なんだろう? いいな、大人って。色々知ってて、こうしても誰もなにも言わないなんて。



 ……じゅぽじゅぽ、っていうか、なにか恥ずかしい音が出てくるところを、お尻が小気味いい音が出るくらいまで一気に突かれると、立ったまましてるから壁についた手がずり落ちそうになる。同時に、はしたないって感じるほど間抜けなあたしの声がして、被さるように良子さんも声を上げる。ときどき下を見ると、あたしの股の直下にぽつぽつと透明な水たまりがあることに気づく。それくらいだった。それくらい気持ちいい。気持ちよくなるとそういうのが出るって、ようやく気づいたから。



「せんせっ、んっ、はっ、せんせっ、せんせっ」



「こら、ダメだよ、名前で呼んで」



「ご、ごめんなさっ、憲邇様っ」



「ごめんなさいごしゅ、憲邇様ぁ」



 ぐっと腰をつかんでた両手の片方が胸に向かう。ぐちゃぐちゃに混ぜ上げられるとまた別のため息が出た。



「ね、胸も気持ちいい? 柔らかくてすごく揉み甲斐あるけど」



 声が大きくなってる。せんせも、気持ちが昂ってるんだ……



「んっ、は、ちょっと、ですけっ、ど」



「ありがとうございますっ、あっ、自慢のものですからっ」



 うわ、いっぺんで二人相手にしてるみたい。良子さん、こっちくればいいのに。いっそ二人一緒なら、恥ずかしくないかも。



「もっと揉んでくださいっ、めちゃくちゃに揉んで、形変わるくらい揉みしだいてくださいっ」



「静かにしなさい。そんなに喘ぐと、聞こえちゃうよ?」



「……はい」



 良子さんもそれが自分に対する声だと勘違いして、小さくなった。あたしは、でも、我慢できなかった。しあわせになれる、こんなとっておきのごちそうを前に、我慢なんてできなかった。なりふりかまわず食い散らかして、夢のような時間をなにも考えずに過ごしたかった。



「あっ! んあっ! んっ、はっ、はぁっ! け、んっ、はあっ!」



 もう、ダメ、もたない……



「あーっ、うーっ、私も我慢できないですっ! やっぱり、ご主人様のじゃないとぉ! ご主人様、こっち来てください、今すぐ、ご主人様のおっきいので犯してくださいっ! ご主人様の媚薬、体中に塗って欲しいんですっ!」



 ……なに、あれ……ずるい、卑怯だよ、普段貞淑なくせに、こんなときだけ、卑猥なこと平気で……昼は淑女、夜は娼婦、っていうやつ? どういう意味かもよくわかんない……力が湧いてきた。だったら。



「憲邇様っ、膣内(なか)で、いっぱいっ、射精()してくださいっ。いっぱいいっぱい、憲邇様のをくださいっ」



「ご主人様ぁ、私も、もうダメです、このまま、変にイクの、いやぁ!」



 あたしだって、イキたいっ。まだだから、大人の、そういう、やりたいっ。



 今度は小さな声で。



「しょうがないなぁ。受精したがりの変態さんだね。静香のは気持ちいいから、大声で喘ぎ続けるなら射精してあげるよ」



 耳が震えて、ぞくぞくが体中をあっという間に伝わっていった。快感が頭の中まで一気に支配して、電気が走ったような心地よさしかなくなる。うあ、あたし、変態だ……



「はいっ、んっ、いつもみたいに、膣内にくだ、さいっ、憲邇様の、あんっ、たくさっ、んぅっ!」



 ……一瞬、頭が真っ白になって……身体全体がびくびくと波打ってた。熱いせんせの精子がお腹の中で暴れまわると、ぼうっとしながらの高揚感に包まれていった。うわぁ……って崩れ落ちそうになるのをせんせに受け止めてもらう。



「イッたみたいだね。どう? 気持ちよかった?」



「……はい……」



 で、でも、ちょっと疲れました。体力つけないと……あ、ま、まだ、ちょっと出続けてる。気持ちよかったんだ。うれしい……



 赤ちゃん……楽しみ……



「……もう、ご主人様のバカァ……」



 泣きそうな良子さんの声が聞こえたのは、あたしのせいで汚れた床をせんせが拭き終わったあとだった。あたしも手伝おうと思ったけど、ほんとに疲労してて動けなかった。終わるとせんせが隣に寝転がってくれて、またぐっと抱き寄せてくれる。残った力を総動員して、せんせの手を胸の中に埋めた。するとせんせは残ったほうでお尻を覆ってくれる。うあ、どうしよう、すごく落ち着いていいな……



「終わりましたね。ふんだ、オナニーした後の間抜け面を拝んでやるっ」



 すぐに良子さんがこっちまで来て、服は着てるけど大事なところを出したままで抱き合った二人に固まった。



「……ご、主人様?」



「どう、静香、興奮した?」



「……す、少し……」



 いつもより濡れてたかも、しれません。あたし、羞恥心とかないかも。



「もしかしなくても、変態プレイをしてたんですか」



「変態じゃないよ。私の家だからどこでなにしたっていいじゃないか」



「そうですけど……あっ! どういうことですかご主人様。どうして静香ちゃんに生膣内(なか)射精(だし)してるんですか」



「え、いや、それは」



「ずるいです。私にもちゃんと生でしてください。今すぐでもいいくらいです。ちょうど今日はできちゃう日だし」



 え。うわ、やった、良子さん遠慮して避妊なんてしてたんだ。バカだなぁ、もったいない。



「わかったよ。良子がもう二度と自慰をしなければね」



「う……」



「今すぐは無理だよ。今日は静香だし、体力も、ね」



「じゃ、じゃあご主人様、私と一緒に朝のウォーキングから始めましょう。精力はお料理でなんとかしますから、体力を一緒に作りましょう。ご主人様ったらお忙しいから、朝くらいしか時間ありませんし。はい、決定です」



「うん。わかったよ。広子(ひろこ)と一緒にね」



 あたしはぎゅっとせんせの腕を抱きこんだ。



「あたしは今のままで十分です。今のでももたないから、体力つけて長く相手する自信ないです」



「いや、いいよ。体力不足はずっと課題だったんだ。静香だって将来はもっと多くやりたくなるかもしれないし、やっておきたいな」



「……はい……」



 将来。そこまで一緒にいてくれるってこと。うれしいな。もしあたしの身体が気持ちいいからなら、すごくうれしい。



「体力ついても、静香がそれに付き合う必要ないよ。私が合わせればいいだけだから」



「……」



 こっそりがんばる決意が湧いた。あたしも同じくらい体力をつけて、こっそり驚かせよう。大丈夫ですって、したいようにしてくださいって、言いたい。



 さすがに、良子さんが言ってたえっちなのにはなれないと思うけど。あたしはあたしで、あたしだから。それで勝負しなきゃ。



「……やっぱり静香ちゃん、スタイルもいいし美乳で美尻ですね。お洋服着なおしてよかった」



「そうなんですか? 今度、良子さんのも見せてください」



「いいですよ。いっそ三人で仲良しするのもいいですね」



「う、だから体力が……」



「嬉しい悲鳴を上げるのは幸せな証拠です。最終的には8p9pもありですね」



「せんせにそんな無理はさせられません」



「そうですけど……」



 そりゃあ、せんせは実際毎日誰かとえっちしてるから、徐々に増やしていけばできるかもしれませんけど。欲求不満なのは一人えっちする良子さんくらいですよ。



「まあ、おいおい考えるよ。今は一人で精一杯だ」



「お願いします。タオルケット持ってきますから、静香ちゃん、お腹冷やしちゃダメですよ」



 ぱたぱたと駆けていった。



 あたしのえっちの感じ方や声は、別に変じゃないことに少し安心する。変なのはもういやだから。



 青色のタオルケットに一緒にくるまって、目の前の人の瞳に「好き……」と言ってから眠りに落ちた。



 同じ言葉が子守唄だった。



 



 



 



 



 なんてことを聞かされてやるせない気持ちになるのは当然だと思います。まったく、憲邇さんの鬼畜っぷりはすさまじいものがありますねっ。



 私だってほしかったのに、まだ早いとかなんとか。それで、静香ちゃんには作ってるって、ひどいです。



 手ひどく追求してやると、憲邇さんも仕方なく次からはちゃんと作ってくれると言いました。まったく。私だってもう二十三になったんです。子育てだってできます。



「それでねぇ、りょうてもってもらって、くるくるかいてんしたの。目まわっちゃったなぁ」



 少し、ほんの少しその一端を今やっていますから。この子を、奈々穂(ななほ)ちゃんを見ることで子育てがどういうものか、きちんと勉強もし始めました。確かになにも知らずに子供がほしいとは、大人がやることではないのかもしれません。でも、できたら覚悟ができるから、やっぱり憲邇さんはひどいと思います。大体奴隷なら奴隷らしく、最初から生で危険日無視の節操なしのほうがいいのに。そっちのがすごく興奮するのに。もう。



 優しいご主人様にお仕えするのは、とても幸せですけど。



「ねぇお母さん、ななほまだここにいなきゃダメ? おうちかえっちゃダメなの? ななほね、せんせぇとまちあわせでーとがしたいなぁ」



「……もうちょっとの辛抱よ。奈々穂ちゃんは偉いから、ちゃんと待てるでしょう?」



「うん、わかった。たのしみぃ」



「こら、そんなに動かないの」



 この子はずいぶんと明るくなった。泣く回数も減り、こうして髪を梳いているとおとなしくなるのではなく、次々と最近の出来事を報告してきた。足をばたばたさせ、毎日が楽しくて仕方がないと、子供らしくそのままに表現する。



 もしかしたら、恋はこの世で一番の特効薬なのかもしれない。



「ねぇ、お母さんもせんせぇのこいびとなんでしょ?」



「うん。そうだよ」



「じゃあさぁ、せんせぇとけっこんしようよ。そしたらせんせぇがお父さんだから。ななほね、せんせぇならお父さんでもいいなぁ……お父さんでこいびと。いいなぁ……」



「それがね、あの人はたくさん恋人がいるから、結婚はしないのよ」



「そうなの? ざんねんだなぁ」



「……あなたなら……」



 いいえ、そんなことはないっか。「なんでもない」



「ね、お母さんはかぞくなんにんいる?」



「えーっと、一緒に住んでるのはお父さんだけね」



「そうなんだ? お母さんは?」



「死んじゃったの」



「うわ……ごめんなさい」



「いいのよ」



「ななほはね、お兄ちゃんがいたの。ちょっととしのはなれたお兄ちゃん。やさしくて、カッコよくて、ななほのかみはきれいだねって、いっぱいほめてきもちよくさわってくれたの」



「そうなの?」



 そんなはず、ない。奈々穂ちゃんには兄弟などおらず、一人っ子のはずだ。親戚の方が言ってたから間違いない。生き別れ? あとで憲邇さんに確認しておこう。



「うん。しょうらい、ななほが大きくなったらおよめさんにしてくれるっていったの。お母さんがね、お兄ちゃんはわたしがおよめさんにしてもらうのって、はりあってた」



「あらあら。大変ね」



「そいでね、せんせぇはお兄ちゃんそっくりなの。でもね、さいしょあったときに、お兄ちゃんなのってきいたら、ちがうよっていわれちゃった」



「そっか。残念だったね」



「でもね、ななほにとってはもう、せんせぇがお兄ちゃんなの。やさしくて、カッコよくて、いっぱいほめてくれるとこまでぜんぶそっくり。あたまのなでかたも、かみのさわりかたもおんなじだから、もうお兄ちゃんなの」



 これは血縁関係でなく、単に近所のお兄ちゃんということなのかもしれない。もしかしたら、憲邇さんは彼女が幼い頃近くに住んでいて、面識があったのかもしれない。五歳だ、見覚えがなくても仕方ない。でも。



「お兄ちゃんとは昔一緒に住んでたの?」



「うん。ずっとおんなじおふとんでねてたの。ねるまえにね、ぜったいちゅうしてたんだぁ」



 その可能性はあっさり消える。もっとも、まだ居候などの少ないものがあるけど。



「でもね、ある日とつぜん、せんせぇ、じゃないや、お兄ちゃんいなくなったの。お兄ちゃんもお母さんもいなくなったの。ななほはちがうおうちの子になったんだって」



「え」



 これは……調べる必要性が出てきてしまった。彼女の前の両親が離婚したのか、養子に出されたのかはわからない。でも、もしこの子が憲邇さんの妹なら。一人でも肉親が生きていることは、治療においてなによりの朗報だと思う。



 ただそれは、もう一つの問題が生まれることを意味しているけれど。



 この子はまだ、キスの先は知らない。



「あたらしいお母さんもやさしかったけど、やっぱりお兄ちゃんがいっしょがよかったなぁ……あ、いまはね、おねえさんがお母さんだし、せんせぇがいるからさみしくないよ?」



「うん。ありがとう。はい、お終い」



「ありがとぉ」



 立ち上がり、くるくると顔を回転させて長い髪を翻らせる。腰に届かんばかりの黒髪がさらさらと揺れて、笑顔の彼女をより一層魅力的にする。くそう。私だって若いのに。



 ……私と憲邇さんとの間にできた娘が、将来これくらい笑顔の似合う美人に成長してくれるなら。なにをおいても子を優先することができるはず。



 憲邇さんのように。



「奈々穂ちゃん、今度先生にお兄ちゃん、って、呼んでみたら」



「なんでぇ?」



「もしかしたら先生は忘れてるだけで、奈々穂ちゃんがそう言うと思い出してくれるかもしれないわ」



「そっか。そうだよねぇ。ななほいつのまにかおっきくなってるから、お兄ちゃんでもわかんないかも。おっぱいぽよんぽよんだし」



 人前でこんなに無防備に誘うような行動をとるかもしれないのはちょっと怖い。「こら、胸はあんまり触るものじゃないの」



「そお? でも、めがねのおねえさんせんせぇにいっぱいさわられてたよ?」



「恋人にならいいの。むしろ、恋人にしか触らせちゃいけないの。私の前ならいいけど、知らない人がいるところで胸触ったり、見せたりしちゃダメ」



「ちゃんとわかってるよ。こんなことするのせんせぇとお母さんのまえだけだもん」



「そっか。ごめんね……ちょっと、触らせてよ」



「うん」



 ……若いからよ。きっとそうだわ。くっ、ぽよんぽよんね……「あっ」



「うわぁ、お母さんもぽよんぽよんだぁ」



「ダメ、急に触らないの」



 ひとまずの距離をとる。「私の胸はね、先生だけのものなんだから」



「そうなんだ。わかった。あんまりさわらない」



「ほかの人に触るときも、ちゃんと一言、触っていい? って聞くようにしなさい」



「うん。えへへ、もしせんせぇがほんとにお兄ちゃんだったらさいこうだなぁ。しあわせになれるよ」



「……そうね」



 もしかするとあの人なら、たとえ本物の兄だとしても、幸せにするのかもしれない。



 一人の女の子として。



「じゃあ、私はお仕事があるから、ちゃんとおとなしくしてるのよ」



「うん。きょうはまゆおねえちゃんたちもきてくれるからさみしくないよ」



「そう。よかったわね」



 うん、彼女たちに友達になってと言っておいてよかった。



 このまま健やかに育ってくれることを祈りながら、静かに扉を閉めた。



 



 



 今日は私の日。恨めしそうな尾方さんの視線を跳ね除けて、にこにこしてよう。ああ、ご飯おいしいなぁ。



 今日から子作りだから。私は男の子がいいなぁ。ふふ。



「なあに、そんなにご飯おいしいかしら。今日は私が作ったから、おいしくないと思うけど」



「いいえ、おいしいです。私なんかよりずっと」



「……なによ。やっぱりああいう子じゃなきゃ好きじゃないんじゃない」



「どうかした、尾方さん」



「あなた、関係ある人六人でしょ? 一日くらい休みなさいよ」



「それは嫌だな」



「……っ! 最っ低! ただの女好きの変態じゃない! 腹上死でもすれば!」



 がちゃがちゃうるさい音を出して、尾方さんはキッチンへ消えた。一際大きい音を出したあと、別の廊下を通って会わずに部屋に戻っていく。



「……憲邇さん、お母さんにまだキスもしてないんでしょ? してあげなよ。えっちはダメでもさ」



「できないよ。あの気持ちはきっと風邪みたいなものなんだ。すぐに変わる」



「……ひどいな、憲邇さん。お母さんね、一人でお部屋にいるとき、そっと憲邇さんの名前呼んでるんだ。『憲邇……』って。ほっぺ赤くしちゃってさ、お母さんじゃないみたい。呼びたいんだよ、恋人みたいに。ずーっと写真見ながらだよ。あたしとおんなじ。あたしの好きも、かぜだって言うの?」



「……そうじゃないよ。私から奴隷になりなさいとは言えないから。彼女からしてくださいと頼むまでは、このままがいいと思う」



「そうですかねぇ? あの人は積極的に見えて、最後の一線は向こうからを待つ人です。誘いはしますけど、男の人のせいにするんですよ。兆候はあったと思いますけど」



「……」



 あ、本当に悩んでる。あったんだ。ふぅん……相変わらず、にぶちんでとうへんぼくの憲邇さんは知らずして女性を傷つける。気遣いが得意に見えて無神経だから。実際そうとわかったときのフォローというか、いちゃいちゃのしっぷりはすごいけど。



「本当にまゆちゃんのお父さんになってあげてもいいですよ。私たちは全然構いません。尾方さんも許してくれるって言いましたし」



 形だけなら、ですけど。



 (いずみ)先輩は最初尾方さんの登場に動揺してた。愛人でいさせてほしいと言ったときの表情が見たことないくらい不安だったのを覚えてる。あんな先輩は見たことなかったけど、それも仕方ないかもしれない。私たちみんなができなかったことを、この人は次々として見せたのだから。



 でも、私は泉先輩のような危機感は感じていない。きっと憲邇さんなら、今までのようにずっと扱ってくれると信じてるから。



「……しばらく、考えたいな。すぐには、無理だよ」



「そうですね。ゆっくり考えてください。でも、今日お相手できないなんていうのも許しませんよ?」



「わかってる。私も癒されたいしね」



「はいっ」



 本当、ご飯おいしいなぁ。



 食器を片づけていると後ろでキスする音が聞こえた。続いてお互いに好きだって言い合ってる。最後に彼女の「待ってるから」という言葉が残った。



 片付けを終え、憲邇さんの寝室を訪ね、「いけませんね、女を待たせるだけなんて」と言って思いっきり胸に飛び込んだ。



「待たせる?」



「なんでもありません。憲邇様、今日は普通にお願いしますね」



 前みたいに裸で家を徘徊はこりごりです。



「わかってるよ。広子の普通は、縛られることなんだよね?」



「違いますっ」



「じゃあ胸だけにするとか?」



「子供がほしいって言ったじゃないですかっ」



 そりゃ、そういうのもちょっとはありかもって、思いますけど。縄とか、調べたりもしましたけど。



「わかったよ。奈々穂ちゃんみたいな子供が欲しいね」



「あ、そうだ。憲邇様に妹はいましたか? 生き別れとか、両親が離婚して、離れ離れになったとか」



「妹? いや、いないよ。姉はいたけどね」



「姉と生き別れたんですか?」



「うん、色々あってね。大好きだったんだけど、中学に上がる前に離れ離れになったんだ」



「そうだったんですか……あのですね、奈々穂ちゃんが、憲邇様は昔いたお兄ちゃんにそっくりだって、言うんです」



「お兄ちゃん? おかしいな、彼女の家に兄はいなかったはずだけど」



「はい。もしかしたら、解離のショックで想像の兄を創り出したのかとも、思ったんですが」



「そうだね、この人格には優しい兄がいたと、脳が創り上げることもあるだろうが……それだと、私とそっくりだというのがわからないね。そうなのなら、確かに実在したと考えたほうが自然だ。創り上げた理想なら、現実に似た人がいてもそちらを兄だと思わないだろう。兄かと訊ねられたときは記憶障害かと思ったんだけど、それも違うだろう。元々友達の記憶はあったし、自分の名を覚えているのだから別の人格を作ったわけではないだろうし、外へ連れ出すとここは知ってると言うのだから別の『ななほ』でもないだろう。五歳の頃の『奈々穂』へと戻っただけとしか思えないから」



「そうですか……では似てるだけなんですね。だとすると、本物の彼女のお兄ちゃんはどこにいるんでしょう」



「探さないとね。やることができて嬉しいよ」



「はい。私も協力させてください」



「うん。頼りにしてる」



「……!」



 思いっきり抱き締めた。最近、憲邇さんはいろんな人に力を借りるようになった。自傷をする患者さんにも、適した人の助けを借りたみたい。いい変化。相変わらず一人で抱え込んでることもあるけど、柔軟に変わってくこの人を見るのはすごく楽しいな。



 なんて思っている間に。あれよあれよと、あれ?



「……あの」



 真っ暗なんですけど。



「大丈夫、普通普通」



 いえ、絶対普通じゃないです。



 またも早くも前言撤回しそう。変わってくの、こういう方向にはきてほしくないな……



 目隠しをされました。思わず、次に来るべき腕を縛られるのを予想して「お願いですから、ベッドに縛りつけとかは絶対にやめてください!」と言ったところ、渋々承諾してくれた。



SM好きだと思ったんだけどなぁ……初めはライトにやるから、ね?」



「これで充分ライトSMです!」



「そう? ふぅん……わかった。ここから調教していこうか」



「普通がいいって、言ったのにっ」



 ああもう、どこにいるかわかんないから、大声になっちゃう。



「普通って、どんな?」



「だから、その、普通ですよ。少なくとも目隠しはしません」



「こんな風にするの?」



「あっ」



 ぐいっと脚を広げられた。「や、やめてくださいっ」すぐに閉じる。



「なんで? 普通でしょう? 脚を広げて、深く折って、シーツをぎゅっと握り締めて目を瞑るんじゃないの?」



「そ、そうですけど……」



「ふぅん。やっぱり広子の普通は正常位なんだ」



「そうです」



「実はね、最近の普通はパイズリをすることなんだけど」



「……い、いいですけど、目隠しを取ってください。初めてするから、こんなのじゃ無理です」



「そっか。よかった、初めてならやっぱりこのまましないとね」



「ええっ? あっ」



 服を強引に脱がされてった。あっという間にブラだけになって、前のホックを外され、自慢の胸が露になるのを感じる。



 ど、どうしよう。見えないから、次になにをされるかわかんない怖さがある。いつ揉まれるのか、いつ憲邇さんのものが触れてくるのか。わからないから怖い。



 なのに、私の気持ちは昂ってた。熱くなっていく顔。縛られてもないのに、身動きをとろうとも思わない。



 この人に支配されている。それがどうしようもなく、私を興奮へといざなっていた。



「いいブラしてるね。私も水色は大好きなんだ」



「う、嘘つき。憲邇様はブラならなんでもいいんでしょ」



「ううん、広子の匂いのするこれが好きなんだよ」



「! や、やめてください!」



 ああ、見えないから止めようがない。



「なんで? いい匂いだよ」



「自分の匂いをかがれたい女なんていません! それも下着からなんて!」



 汗とか汗とか汗とか、いろいろあるんです!



「わかったよ。でも大きいね。いつからこんなになっちゃったの?」



「中一のときに結構膨らんで、それかんっ!」



 いきなりキスされたっ。どうしよう、心の準備ができない。なにがくるかわかんないから、ドキドキしっぱなし。



「っ……憲邇様……」



 ちょっと、この人の顔がわからないのは残念かな。キス魔で上手なこの人が、キスしたあとの満足そうな顔、見たいのに。



「それで、それからどうなったの? あ、スカートめくりながら答えてよ」



「……そ、それからちょっとずつずっと成長していって、気がついたらこんなになってました」



 するすると白いロングスカートを持ち上げていくと、下着が見えたぐらいでシャッター音が鳴る。思わずびくっと体が跳ねて、今の私を映し出されたことにかあっとなってしまう。ああそう、録画もしてるんだった。



「かわいい下着だね。今の広子、綺麗だよ。大きいと妬まれなかった?」



「ありがとうございます。よくあるホルスタインってよばっ!」



 なにかが胸に押しつけられた。これ、この熱さ……憲邇さんのだ。やっぱり、パイズリ、するんだ。



「ひどいね、こんなこともできるくらい立派なのに」



「……こ、これ、指じゃ、ないですよね?」



「後で録画も写真も、ばっちり見せてあげる。ほら、普通のことしよう?」



 普通は、録画もパイズリも目隠しもしません。でも、これに負けないくらい、今の私も熱い……



 ゆっくりと、自らの胸を持ち上げ、この人のものを愛撫していった。奉仕してる。理想の関係。この人に尽くしたい。ああ、勝手に口が動いた。



「それもこれも全部今のためです。憲邇様に捧げるためなんです。こうやって使うためだって、今わかりました」



「ふふ。そう。ありがとう」



 すりすり頭を撫でてもらう。もう、大人を撫でるの、あなたくらいですよ。気持ちいいけど……あ、またシャッター音。今の写真はほしいなぁ……



「どうですか? 気持ちいいですか?」



「ふふ、ぎこちないから余計いいかもね。もっと下かな」



「はい……」



「そう、その調子……うん、やっぱり広子のはぽよぽよで気持ちいいよ」



 硬いこの人の感触を感じる。絶対、目が見えたほうが気持ちいいと思うのに、やっぱり憲邇さんは変態だわ。



 頑張ってぐねぐねと自分の胸をくねらせ、この人のものを刺激していった。顔が見えないから成果もわからない。時折するって滑るけど、「こっち」とか「いいね」とか逐次この人は言ってくれた。



 視線を胸に感じる。ぐにゃぐにゃになってる胸を、じっと視姦されてる……



 そっと、結んだ唇に指がなぞられた。「そろそろいいかな。子供が欲しいなら、ここで射精するとしばらくできないから」



「はい……っ!」



 突き飛ばされた。ベッドに横になり、勢いでスカートがめくれてる。上を覆う誰かの影がわかり、キスとともに下着の中を指が這った。



「んっ……」



 ああ、ちょっと乱暴……嬉しい。



「ずいぶん濡れてるね」



「えっ」



 ああ、自分じゃ見えないからわかんない。憲邇さんが意地悪で言ってるのか、それとも本当にそうなのか。どれぐらいか確かめたい、もうっ。



 気持ちいい……



「すぐ挿れるね。待ち遠しかっただろうから」



「そんなことない、ですっ」



「違うの? そっか、じゃあまたパイズリだね。胸にかけるのもいいなぁ」



「……」



 もう、もう! 憲邇さんはいつもこうだ。言わせたがりの淫語マニアめ。引く人もいますよ、こんなの。



 ……そんなわけなかった。これくらいで引くぐらいなら、好きでないだけ。ちゃんとこの人は、私が嫌がることをしてこない。お互い気持ちよくなるためだからこそ、こういうことをする。それがわからないのは好きじゃないの。裸で徘徊だって、そうに決まってる。じ、実際、そのときはすごく気持ちよかったし……



 自分が気持ちよくなるためだけに、自分のためだけに強要するなんて一切ない。私のことばっかり考えるこの人が「大好き」



「ダメ。そんなこと言ってもダメだよ」



「……待ち遠し、かったです……」



「私もだよ!」



「あっ!」



 や、やだ、声出ちゃった……急に下着ずらされて、一気に奥まで挿入ってきた。本当に濡れててあっさりそれを受け入れて、硬い男に快感を感じる。



「広子っ!」



「っ! っ、ぁ、っ!」



 激しい、ですっ。力いっぱい奥まで突かれて、力いっぱい、胸揉まれてるっ。私は普通に脚を広げて、普通に脚を深く折った。見えないこの人の吐息を感じて、同じくらいの熱いものを返す。シーツを握り、思う様動く憲邇さんに大切なところの刺激で返す。どうか、気持ちよくさせていますように……



「……っ……んっ……っ……」



「締めるじゃないか。やらしいおま○こだね」



「やっ、やっ……っ」



 そんなの言わないで……あっ、つ、強いです……泣いちゃう……



 気持ちいい。「気持ちいいんだね」見えないこの人がどう動いてるかを、膣だけで感じてる。手に取るようにわかる。「すごく濡れてる」激しく頑張ってくれてて嬉しい。硬いものが動くたび抑えた声が漏れてしまう。「いい顔してる」快感が何度も突き抜けてきて、思わず両手を背中に回し、「乳首ピンピンに勃ってる」力を込めた。奥の上のほう、「かわいいよ」ああ、好き、「好き」わかってる……



「憲邇様……子供、ください……っ」



「あげるよ。広子……!」



 強く唇を押しつけられ、そのままびくびくと振動するものから赤ちゃんの元がたくさんでてきた。急にきたキスと射精のせいで同時にイッたみたいで、同じように体中がびくついてた。もう、最近結構、イッちゃうようになったなぁ……ああ、これ、調教されてるのかも……



「んっ、憲邇様、大好き……」



 口をそっとくっつけながら、横にきた大切な人の中にくるまる。抱き寄せられ、ようやく目隠しが取れた。



 少し振りにみる憲邇さんの顔は、とってもカッコよかった。



 この人の子供、ほしいってすっごく思う。



「興奮したね」



「……はい。しました。たくさん」



「じゃあ、少しずつSMチックにしていこうか」



「はい」



「早く広子の柔肌に、縄を縛り付けたいね」



「……」



 想像にまた、胸がつまる。思わず脚をくねらせ、頭をこすりつけた。



「これからもこのまま、頑張ります」



「うん。期待してるよ」



 この人はきっと支配を強くする。私を考えてちょっとずつ。ああもう、嬉しくてたまらない。「大好き」と何度も口に出しながら、緩やかな眠りについた。



 



 



 



 



 



 



 



 



 



 



 



 



 



 



 



 



 



 



 



 



 第十五話あとがき的戯言



 



 三日月(みかづき)まるる、以下作者「およめさんと言う言葉に夢を見ていた時期もありました」



 大口(おおぐち)静香、以下静香「そういうのは幻です」



 作者「こんばんは、お嫁サンバの歌い手が大好きな三日月です。このたびは「ごめんなさい」第十五話を読了くださりましてありがとうございます。お久しぶりの静香さんです」



 静香「こんばんは、静香です。なんていうか、せんせを好きな人がたくさんでてきたから一人一人登場じゃなくて複数でもいいんじゃないですか?」



 作者「そうですね。元々おふざけしかしてませんし、次から増やしましょう」



 静香「今回は? あたし一度みゆちゃんとどれくらいしてるかとか、どんなのしてるか知りたいんですけど」



 作者「え? それはなにもこんなところでやらなくてもいいじゃないですか」



 静香「でもっ、一番回数多いはずなんですっ。あたしまだ二ヶ月ぐらいで二十数回ですけど、あの子はもう五十回とか、きっとそれくらいっ」



 作者「その気のない相手にプレゼントした指輪を勝手に左手のどこそこにつけると、重いというかうざったいと思われるのでやめたほうがいいと思いますよ」



 静香「ケンカ売ってるんですか」



 作者「まあ憲邇さんなら大丈夫でしょうね。周りを説得するためにもいいのかもしれません。普通は即NGですけど」



 静香「その辺は大丈夫です。ちゃんと相手を見てますから」



 作者「そうですよね。彼がドン引きするなんていうのは想像もつきません。えー、静香さんって美乳なんですか?」



 静香「あたし前があれだから温泉とかスパとか行ったことないんで、わかりません」



 作者「形で言うとやっぱり釣り鐘ですか?」



 静香「あれじゃないですよ。垂れるしあれはいやです。こういうのだから、お椀じゃないですか?」



 作者「んー、ちょっと円錐ですかね。いいですね、すごく美乳です」



 静香「でも、せんせはお尻を責めるんです」



 作者「ああ、変態ですね」



 静香「普通なんですか? その、みゆちゃんもされてたって」



 作者「いえ、アブノーマルだと思います」



 静香「前から体中綺麗にしてたけど、まさかお尻を狙われるとは思わなかったので、最初挿れるって聞いたときはびっくりしました」



 作者「しっかり綺麗にしませんとね」



 静香「ところで、お嫁サンバの歌い手って誰ですか?」



 作者「それでは今回はこの辺で。ジェネレーションギャップが辛いです。さようなら」



 静香「……ナイフどこやったかな。さよなら」



 



 20090521 三日月まるる



 




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テーマ : 官能小説 - ジャンル : アダルト

2009/06/24 23:14 | 小説COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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