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「ごめんなさい」その四十九_第四十八話_愛してる

 遅くなりましたが明けましておめでとうございます。三日月です。
 年内にはこれを更新するはずでしたのに……すみません。遅くなりました。ちょうどそろそろ更新しようかなというときに拍手コメントをいただき、一人ものすごくテンションが上がっていました。ありがとうございます。あとでお返事書いておかないと。コメントいただいたから更新したわけではないのですよ、本当にそろそろ更新しようと思っていたわけでして。
 こんなにまばらな更新なのに拍手ありがとうございます。嬉しいでございます。
 それでは第四十八話です、どうぞ。
 追記:拍手コメントより、六話おかしなところを修正。ご指摘ありがとうございました。ああ恥ずかしかった。ほかにもありましたらびしばしどうぞ。それとちょろちょろと登場人物紹介を更新。巴さん追加。目次にも余計なことを足してありますが見づらければ言ってくださいませ。
























 四十八 愛してる








 
良子(りょうこ)さんのいない憲邇(けんじ)さん家って、なんか違和感あるなぁ。いっつも忙しく動き回ってるめいどさんがいないってへん。静かだなぁ……っしょ。


「まゆちゃん、たこさんはちょっと、あいつ大人だし」


「え、そう? あたし好きなんだけどなー」


 なんかそのまんまのウィンナーってダメだよね、おいしそうじゃないもん、っしょっと。


「へぇ、でもきちんとできるんだ? ちょっと不格好だけど」


「まあね。何回かやったし、そだ、そんときも作ったけど憲邇さんもんく言ってないよ、だいじょぶだいじょぶ」


「そっか、これは別にいいのね……」


 いつもならめいどさんがあれこれうるさいけど、
(ともえ)さんみゆちゃんと三人だと静かなもんだね。どんだけ良子さんうるさいんだよ、あとお母さん。


 今日はあたしたち三人がお弁当なの。三人で四人分お弁当作って、病院の中庭で食べるんだから。ほうちょうだって使えるし、一人前のコックさんだね!


「……」


 みゆちゃんも真剣な顔してたこさんを作ってる。気合入れすぎだよ、いいんだよ失敗したって、
(いずみ)さん言ってたじゃん。


「……ぃっ。で、できた」


「お、できた? んじゃ焼いちゃおうっか」


 みゆちゃんはやっぱり、とろい。あたしと同じスピードでお料理は絶対にできない。こっちが終わってもみゆちゃんは半分、ってのが普通。でも、出来上がりは向こうのがきれいだし、おいしいんだよね。男子はなんでおそいってだけでうだうだ言うんだろ? バカじゃねーの。


 巴さんに見てもらいながら、お弁当のおかずを作っていった。いいのかな、もっと巴さんが作ったほうがいいと思うけど。仲間入りしたばっかなんだからさ、見てばっかないで作っていいよ? 憲邇さんにいっぱい食べさせてやればいいのに。


 それでもずっとにこにこしてて、楽しそうだった。ならいっか。一応たまご焼きはみんなで作ったかんね。だれが一番か、決めないとね。


「まんなかが巴さんでしょ、左があたし、で右がみゆちゃんね」


「うん、そうだね。み、見るとわかるよね、だれのかって」


「うん、わかるわかる。さぁあとはあの野郎がどう食うかね、なんにも気にせずにばくばく食べて、違うって気づかなかったらビンタしてやる」


「そだそだ、けってやるっ」


「だ、ダメだよけっちゃあ」


「いいんだよ、あたしたち何回もこがしちゃったんだから、やっとできたんだよ? 気づかないなんてお父さんのくせにダメだねっ」


「で、でも……」


 みゆちゃんのなんか、憲邇さん好きって、いーっぱい伝わってきたのに、もう。


「ダメダメみゆちゃん、憲邇さんはお父さんで彼氏さんでしょ? 将来のだんなさんだよ、みんなに言うんだからケンカしたっていいの。そんでね、あたしたちが憲邇さんをぐいぐい引っ張ってるって教えてやんなきゃ」


「ち、違うもん。みゆは憲邇さまのどれいなだけ、だもん。し、しかったりケンカ、できない。みゆがしかられるの、おしおきしてもらうの。みゆがやっちゃ、ダメなの」


「もう、みゆちゃん? それはえっちのときだけでしょ? 憲邇先生ね、普段はぐいぐい引っ張って姉さん女房すると喜ぶのよ? あいつ喜ばせなきゃ、ね?」


「あ、え、で、あ、ううう……」


「まーまー、みゆちゃん、気づかなかったらね、とんちんかんって言ってやりゃいいんだよ。ひどいよとかさ、教えなくっちゃ。くいくいすそひっぱんなよ」


「あ、う、うん。それくらい、しよっかな。そ、そうだよね、みゆががまんするの、憲邇さまもやだし、みゆもやで、いいことないもんね……」


「そうそう。言いたいことは言ったり、嫌なことは嫌だって、なんでもいいから教えないとね、特に彼氏には。我慢するのは夜だけにしなきゃ」


「夜? なんで?」


「……えっと、じゃあそろそろ行こうっか。お昼には充分間に合うけど、早めにね」


「? はーい」


 やっぱ大人ってわかんねーことばっか言う。早く大人になりてーなー。


 憲邇さんのお弁当だけ、かなりおっきいや。みゆちゃんのお弁当箱すげーちっちゃいんだよね、巴さんあたしとおんなじくらいなのに。


「病院だとどうすりゃいいんだっけ? えと、巴さんも仲間入りでしょ? いつもどおりお母さんが恋人って、すりゃいいのかな?」


「ああ、あいつ一応独身か。あたしが恋人面して乗り込むと面倒か。どうしよう?」


「べ、別にいいと思う、なんでも。みゆが憲邇さま、ほんとのお父さんで、恋人ですって、言っていいよって、言ってくれたし」


「そっか、そだね」


「……みゆちゃん、確か、育ててくれてる親御さん、いるのよね?」


「は、はい、います。別のお義父さん」


「……あいつ、そこまで自分を蔑ろにしなくていいのに、バカなんだから……」


「巴さん? どしたの?」


 急に腰を落として、あたしたちと同じ目の高さ。


「あのねみゆちゃん、まゆちゃんも。憲邇先生がいいって言っても、一応お母さんに報告したほうがいいわ。みゆちゃん、あのね、みゆちゃんは今、お父さんは憲邇先生だって、周りのみんなは知らないんでしょ?」


「は、はい」


「そこでね、みゆちゃんがほんとのお父さんがいます、憲邇先生ですって、言うとね、憲邇先生が大人に、白い目で見られて、やな顔されて、もしかしたら意地悪されたり、あんまり話してくれなくなるの」


「えっ! ど、どうしてですか?」


 そうだ、そんなの憲邇さん、知ってていいって言うはずないよ。


「恋人ですは、むしろいいの。大人は気にしないわ。でもね、ほんとのお父さんってことはね、憲邇先生は今結婚して、いないの。結婚前に子供を作っていて、それもね、みゆちゃんは名字が
眞鍋(まなべ)でしょ? 深町(ふかまち)じゃない、養子に出したって、大人は思うの。それか知らなかったけど最近になってわかったとか、いいほうに考えてくれるかもしれない。でもね、よくは、思わないわ。それなら自分の元で育てるか、母親を探すなり、柚香里(ゆかり)さんをね、してないのはどうして? とかね、すぐにわかっちゃうの、大人の人って。柚香里さんがほんとのお母さんって、知らないからね、その人たち」


「……」


「ちょっと、面倒なのね、あなたたちは……どうすれば、ああもう、あいつに考えさせよう。とにかく、言わないほうがいいわ、憲邇先生が苦労するだけだから。あいつバカだからね、あなたたちのこと考えてわざと知ってて、いいよって言ったの。それくらい言わせてあげよう、自分が少し泥を被れば済むことだからって、いつもの癖ね、ほんっと、バッカじゃない。そんなことしたら……」


 みゆちゃん、泣きそう。「……結局、かわいいお嫁さんが悲しむのにね」


「……やっ、やっぱりみゆ、バカだ、バカ……わがまま言うからだ、お父さんって言いたくて、バカ、バカ……」


「違うわ、これだけは絶対違うって言える。ダメなことはダメと、教えなくちゃいけないのよ、父親なら。ダメな彼氏でダメな夫よ、こっちがしっかりしないとね。ほら泣かないで、ね?」


「そだよ、あたしたちもダメなのダメって言うじゃん、憲邇さんが我慢してどーすんだよ、バカなのは憲邇さん、みゆちゃんが泣いちゃダメ」


「う、うん、ありがとう……」


「そこは我慢するところじゃないわ、お互いね。うまくできるように、お父さんだって胸を張って言えるように、うまくみんなに説明するやり方がね、あるはずよ。話し合わなきゃ、ただいいって言うだけなのはあいつの手抜きよ、面倒くさいって思ってるんだわ、最低よ」


「そだよ、サイテーだねっ」


「そ、そんなことないよ、憲邇さまはやさしいの。だ、ダメなとこもあるけど、ちょっとやり方間違えただけだよ、おあいこ」


「そうそう、だからね、今はきっちり叱って、教えてあげなさい、ね?」


「そーそー! ふじんのつとめってやつだよ」


「あれ? どこでそんな言葉覚えてくるの、十年早いぞ?」


「えー? お母さんみたいなこと言わないでよー」


「ああごめんね、意味は合ってるよ、ここで叱るのは、婦人の努めよ、みゆちゃん?」


「は、はい……で、できるかなぁ、ううう」


 みんなで荷物を持って、最後にちょっとだけ鏡を見てから、くつをはく。みゆちゃんは今日も髪かざりしてる、昨日とは別のぴんくの花のやつ。そいでもう、みんなミニスカートじゃなくってよくなったから、みゆちゃんまた元のなっげーワンピースにしてる。まっしろですそのとこにちらちらお花、桜みたいなのがあるけど、すっげー長いよ? あたしくらいミニミニのが憲邇さんうれしがるよ? へんたいさんだからね。ひざよりずいぶん下でさ、ボールが当たったりけられるとすごく痛いとこより、もっと下かも。


 巴さんももちスカートなの。一回やってみたかったって、まっしろワンピで麦わら帽子(みゆちゃんよか短いけど、やっぱしひざくらい。勇気ないね!)。
春花(はるか)さんとか花雪(かゆき)さんとか、詩音(ふみね)さんがいっつもやってるよって言うと、「すごいのね、さすがだわ……」って。巴さんはあんまりこういうの、やったことなくって、ふんぱつしたんだって。へんなの。


 あたしは薄ぴんくのキャミソールに、ミニミニの赤いひらひらスカート! 一回転しなさいって言ってほしいな、したら絶対見えちゃうのに。


 憲邇さんにだけ、見せたげたいな。あたしのやらしいの恥ずかしいの、ぜーんぶ。


 ちゅうして、あれして、あったかいの、ぜーんぶほしいから。昨日なかったんだよねぇ、いいよな二人とも。


 外に出るとぴっかぴかの太陽が暑くって、でも風が結構あって涼しかった。すぐふんわりするスカートばっかりの三人だから、ふわふわゆれちゃって楽しいや。でっかい風きたらあたしもおさえるけど、巴さんとみゆちゃんずぅっとおさえてやんの。ししし。


 ようやくよたよた車に乗って、出発進行だね! ふぅってため息のみゆちゃん、ほんとすげーや。


 ……車の、助手席。どきどきする……えへへ……


 向こうでもやりなさいって、言われないかなぁ。
















 なんていうか、すごく不思議だなぁ、水着なのにバストが盛れて、膨らんで見えるのって。私もああいうの、試そうかなぁ。


 
(いさお)ちゃんからそろそろ着くって連絡があった。もうすぐか、詩音さん、気づくかなぁ。


 詩音さんは……夢中で、スケッチブックを描き続けてる。みゆちゃんまゆちゃん、巴さんが三人でお弁当を作っているところを。すごかった、こっちがなに言っても気づかず、また描き順がめちゃくちゃで、巴さん描いてたと思ったら別のとこに色を付け出したり、描いてもいないところまで塗ってったり、また急にみゆちゃん描くのに戻るの。びっくりした。信じられない。


 今はそっとしておいて、
東野(ひがしの)さんの水着を見てってる。また水着売り場に来たかと思うくらい、たくさん持ってきてた。


「ほんとだわぁ、
(ひかる)ちゃんDに見えるわね、盛りすぎよ」


「いえいえこれくらいしましょう! 
紗絵子(さえこ)様、ポージング教えてあげてください、知ってるんでしょう?」


「おー、頼んます! あいつ悩殺してやりたいんですよ!」


「それより東野さん、これ着てこれ着て? 先生もう無理だもの、見てみたいわぁ」


「お姉ちゃん着ればいいじゃない、試着試着」


「いッスよ先生、着てみてください、どっちが似合うか勝負しません? あ、腕はこう?」


「あら、面白いこと言うのね、ふふ、熟女の魅力に小娘が敵うと思うてか、ちょっと失礼」


 
大口(おおぐち)先生、のりやすいなぁ。子供みたい、あ、ごめんなさい。あれこれ、紗絵子さんのポーズを真似して、わ、すごい、セクシー……谷間、見えちゃうよ、いいんだ……私もあれくらい、あったら先生喜ぶのかな、悲しむのかな……おっきいのとちっこいのがたくさんあって、先生の本当の好みがどれかわかんなくなっちゃった。隣で休憩してる春花さん花雪さんは、きっと朝、先生に……


千歳(ちとせ)! ここか!」


百恵(ももえ)さん迷惑だろ、あ、いた」


 来た来た。百恵さんの私服って久しぶりかも、会社のより似合ってますね、ジーンズ。勲ちゃん丸メガネが傾いでるよ。


「? なんだ、グラビアの撮影でもしてるのか? おい千歳、どれだ、誰だ?」


「えっと、こちら
早川(はやかわ)百恵さんと、勲ちゃん」


「ちゃんはやめろと何度言えば」


「うるさい、よろしくな君たち、続けたまえ。で、誰だ? うちが専属マネージメントする、紹介し──」


 百恵さんの目が、しゃらしゃら鉛筆で音楽を弾いている詩音さんに留まる。そうして、しばらく興奮が止まってた。


 目を、奪われてた。二人とも、なんでか、私はただすごいと思うだけなのに、二人はぴんとくるのか、呆然、してた。


「……し、できた、ぇへへ」


 とっても筆の早い詩音さん。スケッチブックがあっという間に彩られ、そこに宿る三人の楽しそうな姿は、まるで見てきたかのように、私の奥に届いてきた。


 三人がいる。まゆちゃんの元気や、声が聞こえてきそうな、みゆちゃんのはにかみや、慌てる様、巴さんが困ったように、でも楽しそうに笑ってるのが、全部。


 すごい。本当にすごい。色がなんだか、本物よりらしい色だ。現実にはない色彩なのに、どうしてかぴったりだって思う。不思議。鉛筆と色鉛筆だけなのに、どうしてだろう。


「……勲」


「……なに」


「今日はすき焼きか焼肉をしてくれ、肉を食おう、肉」


「ああ、うん、いいよ」


「愛してるぞ、勲」


「いきなり恥ずかしいこと言うなっ」


 みんな聞いちゃってるのに。大口先生またきらきら、しちゃってる。


「? ぁ、あれ、どうしたんですか、みなさん……ど、どなた……?」


「俺覚えてないかな、早川勲です」


「あっ、こ、こんにちは。この前はどうも」


「こっちが俺の妻の、百恵」


「よろしく」


 背の高い百恵さんが座って、詩音さんに握手。よくわからない詩音さんはでも、もう怯えることはなかった。すごいね。


 急にがしっと、百恵さん肩つかんじゃった。


「君がほしい」


「……え?」


「君がほしいんだ」


「百恵さん、脈絡なくそんなこと言っても通じませんよ、口説いてるだけじゃないか」


「ああすまん、なんというか、頭がよく回らない。目の前に金塊の転がる鉱山を見てる気分だ」


「ぇ、えっと……?」


「ごめんね、要は君に絵を描いてほしいんだ、それでできた絵を俺たちで売らせてほしい」


「うる……? う、うるって?」


「え、ものを売るの、売るだけど」


「……ぁ、あのあの、わたし、自分のお洋服が買えるくらいの、お金がほしいんです。だから、早川さんに前みたいなのでよければ、いくつか、描いたものがあって、それを、で、できたら、その」


「……詩音ちゃん、それは本当に嬉しい申し出だね、ありがとう。でも君には、才能があるんだ、絵を描く才能が。ね、百恵さん」


「ある、すごくある」


 百恵さんちょっと様子おかしいな、いつもはもっとしゃんとしてるのに。勲ちゃんとくっつきだした。寄りかかってる。逆に勲ちゃん、しっかりしだした。変なの。


「そ、そうですか? ゎたしは、好きなだけで……」


「うん、そうなんだろう。伝わってくるよ、絵を描くのをとても楽しんでるってね。だからこんなに、素敵な絵が描けるんだ」


「や、やめてくださいっ」


「君の絵は、人を笑顔にする」


 そっとスケッチブックをとって、じっと出来上がったばかりの絵を、見つめる。


「見ているととても幸せな気分になれるよ。心が和むし、これを家に飾れたら華やかになる」


「ぁ、あのあの」


「聞いてくれ。君はこれからも絵を描くだろう、好きだからね。でも君は、描いた絵をどうしてる? こうしてスケッチブックにしまってるだけじゃあ、ないかな」


「そ、そうですけど」


「それはもったいないよ。この絵を見て、元気付けられたり、勇気付けられたりする人がきっとどこかにいる。こんな絵を必要としているところがね。俺たちはそこへ絵を届けに行きたいんだ」


「……はぁ……」


「本当だよ。俺たちは家にこんな絵が一枚ほしい。俺たちと同じ人がきっとどこかにいるはずだ。あ、ごめん。綺麗なことだけ言ったけど、さっきも言ったように届けるんじゃなくて、売りに行くんだ。これを持って、いくらで買ってください、ってね」


「そんな価値」


「あるよ、自信を持っていい。なんならコンクールにでも送りつけてやれば、掻っ攫っていくさ、本当にいいものはね」


「勲、甘いこと言うな。根深いぞ、でかいとこはな」


「話の腰を折らないでくださいよ……俺は、本当にいいものが埋もれるとは、思いたくない。本当にいいものはより多くの人の目に触れて、より多くの人の共感を得て、幸福を伝え合っていくものだと、思いたい。俺は、これがいいものだと、感じる。感じない人もいるだろう、でも、同じ感性を持つ人に届けてあげればいいとは、単純に、思う。俺は素人だから」


「よ、よくわかりません」


「うん、話が逸れたね。そうだな、絵を売って、それで生活していきたいとは思わない? 俺たちはその手伝いをしよう、どう?」


「そうだ、あたしはな、本当はこういうことがやりたかったんだ。この絵は売れると、あたしたちは思う。だから手伝わせてくれ。どこに売りつければいいとか、あたしたちは知っている、やり方もわかっているつもりだ、頼む」


「……で、でも、売れません、こんなの。売れなかったら、迷惑が」


「ふむ、そう思う気持ちもわかる。君はずいぶん若いみたいだしな、小四、五か?」


「百恵さん、詩音さんは今年十四です」


「……なるほど、合点がいったよ。手袋の理由も、大体予測がつく。ならこうしよう、まずあたしたちが君の絵を買い取ろう、どうだい? あたしたちはそれをより高く売るのさ、それなら問題ないだろう?」


「ぇ、え、で、でも、でも」


 紗絵子さんのほう見た。わかんないよね、大変だよね。あ、すぐ来た。


「詩音ちゃん、これはね、自分で決めなさい。自分でよぅく考えて、自分一人でどうするかを決めなさい。私たちは相談に乗るわ、でもこうしなさいとは言いません。あなたが、決めるの」


「……」


「少しくらい待ってくれるんでしょう? 今すぐってわけじゃあないわよね?」


「ああ、それはもちろん。今日すぐってわけにはいかないだろう、しばらく待つよ、とにかく会いたくてな」


「ふふふ、わかるわぁ、こんなに……いい絵なんだもの」


 紗絵子さんも惚れ惚れだね、ね、すごいよね。


「でもね、高値で売れてもこの子に一文もやらなかったらいけませんよ、それはずるだわ」


「もちろんだ、そこはビジネスとしてしっかり払いますよ。あたしらは一割がいいとこだろう。描いたのは紛れもなく、この子なのだから」


「……し、しばらく、時間、ください」


「ああ待つよ。ゆっくり考えてくれ。いやぁでも、実物を見れてよかった。休みでよかったよ、話ができて本当に嬉しい。よくやった、勲」


「どういたしまして。あの、でも若干暑苦しいな」


「すまん、お前とこうしていたい……」


 肩乗せて、じっと目を閉じて、寄りかかってる。いちゃいちゃ、こんなとこでしちゃダメって、東野さん言わないね。いいよね、ね。


「なんだかな、この絵を見たら、お前を感じたくなったんだ……お前、最近冷たいぞ? なんだ、もうあたしは飽きたのか?」


「そんなわけないだろう、よそう、こんなとこでする話じゃない、千歳も聞いてる」


「ああ……そうだな……」


 しっかり、ぎゅう……


「うわぁ、うわぁうわぁ! やだ、お姉ちゃんもあっちゃん会いたくなっちゃったー」


 大口先生も絵を見るなり、そんなこと言い出してる。ちらちら夫婦のいちゃいちゃを、指をくわえて羨ましそう。


「……? 
可奈(かな)、わかるか?」


「まあ、ちょびっと。あたしもカレに愛してるってメールしとこーっと」


「なんだそりゃあ。これ見ても
住田(すみだ)に会いたいなんて思いやしないぞ、でもそろそろ起きやがれメールは出しといてやろう」


 わかってるじゃない、ふふ。


 みんなが絵を見て、心がほかほかしてくのに、ただ一人、詩音さんだけが首を傾げて、不思議そうだった。おかしいね、ふふ。


 私も先生に、大好きですって送っとかなきゃ。


 一段落して、ようやく百恵さんが勲ちゃんから離れてくれた。落ち着いてから東野さんたちはまた水着を選んで、それに合ったポーズを研究中。わいわい、きゃやきゃや。


「さて、じゃあこれは別のお願いだ」


「は、はぃ」


「勲の似顔絵を描いてくれ、あたしが世界で一番いい男だと思ってる人だ、頼む」


「百恵さん今日おかしいぞっ」


「おかしくない、でなければ結婚なぞするものか、ばかもの。頼むぞ詩音さん、カッコよく描いてくれ、実物より」


「は、はぃ……ぁ、動いてて、いいですよ」


「あ、そう? 助かるよ」


 じっと勲ちゃん見つめて、隣でふんわり百恵さん微笑んでる。描いてる詩音さんを、私と紗絵子さんで見守ってる。あ、詩音さんがじっと見るからかな、百恵さん腕組み出した。自分の夫だって、ふふふ。勲ちゃんいつもなら人前でやめろって、言うのにね。


 百恵さんこうだからね。二人でお出かけは絶対腕組んでるよね、仲良しさんだ。


 向こうじゃ水着でお出かけ会議、こっちじゃ静かにお絵かき中。変なの。


 でも、楽しいね、ふふふ。あ、百恵さんキスした。詩音さん見てないとき、ふふふ。勲ちゃんかわいい、ふふ。
















「なんでまた俺がお前の健康状態を調べなアカンのだ」


「頼むよ
相良(さがら)、同期のよしみだ」


 両手を合わせてお願いする。仕方ないのだ、ここ最近の自分の調子はおかしい。精力的過ぎ、かつ、記憶というか、その辺がおかしい。


 お互い少し時間が空いたので、お茶を飲みつつ。相良宛にこの前菓子折りが届いたので、それをつまませてもらいながら。「甘いものはダメなんだよ」と、言いながらも黙々と食べ進める辺り、やはり嬉しいんだろうな。相良は最近飲みには誘わなくなり(私は飲まないが)、帰りも早めにしたいのかそわそわすることが多くなった。どうしたんだろうか。


「普通に患者で来いよ、専門が診る。俺は門外漢だ、できはするが」


「頼むよ、時間外にお願いしたいんだ」


「ああ? お前ふざけ──」


 そこで言葉を飲み込む。「いや、わかった。なら受ける」


「本当か? ありがとう、助かるよ」


 思わず両手を握りにいこうとしたが避けられてしまった。「やめてくれ、気持ち悪い」


「ああ、すまない。でも助かるよ、本当に。今は、その、休みを使いたくないんだ」


「ああそーですか。……ああ、そうか、ふぅん……まあ、なら仕方ないか」


「ん? どうしたんだ?」


「いや、なんでも。こっちで納得しただけだ。この際だ、隅々とまではいかないが、できるだけ詳しく調べよう。お前になにかあったらことだからな」


「あ、ああ、それはありがたいけど……急に乗り気だな?」


「少々思い出してな、仕方なくだ。お前の肩に今、どれだけの重さがかかっているか、ってな。今お前に倒れられると困る患者が大勢いる。お前に限ったことじゃあない、医師はすべからく健康体である義務がある。お前は医師なんだ、自己管理ぐらいしてもらわないと困る。お前から異常があるかも、というなら早めにしたほうがいい」


「ああ、そうか。ありがとう、本当に助かる。今度お礼を」


「おい、今お前のオカン帰ってきてんだろ?」


「あ、ああ」


「挨拶させてくれよ、礼だって言うなら。頼む」


「ああ、それは構わないけれど。どうしてまた?」


「ん? 言ってなかったっけ……恩人には挨拶を欠かさないようにしたいさ、なぁ?」


「恩人……?」


「お前のオカン、昔看護師だっただろ? 治療してもらったんだよ、まだここの改装前でな、俺もここも小さかった頃だ」


「ああ……」


 そうだったかもしれない。私が勤めだした頃にはかなり綺麗になり、紗絵子は入れ違いのようにいなかったっけ。そうか、幼い頃に治療に当たってもらったのか。頷ける。


「今だから言うが、完璧に初恋だったな」


「え」


 しみじみと、お菓子箱からカステラを一つ口に入れ、もぐもぐとしっかり噛んで思い出も噛み締めているよう。


「俺、バカだったからな、隣ではきはきしてた同い年ぐらいの医者を見て、医者になればこんな美人のお姉さんといられるって、思ったもんだ」


「……」


 なんというか、なにも言えなかった。


「ほくろがあんなにいいもんだと思ったのは後にも先にもあの人だけだからなぁ……なんていうんだ、明るくて、天真爛漫で、ちょっといたずら心溢れてて、ちょっと垂れ目でさ、笑うとすっげーかわいいんだよ……まあ、職に就く動機なんかそんなもんでいいだろ。きっかけきっかけ。大人になって、医者とはなにかを知ってなおやりたいんだ。あの人には出会ってよかったと思ってる」


「……ありがとう」


 家族を褒められると嬉しいものだ。しかし……垂れ目……? 言われてみると、そうかもしれない。気付かなかった。


「今でこそ注射は痛くないけどな、当時は痛いと噂だったし、実際今考えればかなり痛かった。でもな、あの人のは痛くなかったんだよ、それよりふんわり香ってくるいい匂いに気絶しそうになった」


 そこまで言われると申し訳なくなってくる。実際の母さんがどれだけか……黙っておこう。


「正直、お前の母親があの人だと、わかったときはぶん殴りたくなった」


「ああ、それで知ったときに顔がぴくぴくしていたのか」


 同じ釜の飯を食った仲になる頃、ふとお互いの家族話も言ったときだ。不思議でならなかったが、それならわかる気がする。


「俺の医者の倫理観、ほとんどあの人の受け売りだよ。一度入院したこともあってな、昔はよく大怪我してはここに運び込まれたもんだ、それでたまたま、担当があの人でなぁ……懐かしいもんだ」


 カステラが早くもなくなってしまった。普段は甘すぎてコーヒーをがぶがぶ飲むのに、今日は全然減っていない。


「あ、謝っとこう、そのとき下着見てしまった、すまん」


「いや、私に謝られても」


「見てしまったっていうか、見ようとしてしまった。何回も。あと胸も触った、尻も」


「子供の頃なら仕方ないんじゃないか? 時効だよ」若干嫌だが。


「うん、そうなんだが、罪の意識ってやつがあってなぁ……白衣の天使の、そういうとこを見てしまった、俺は最低だ……と、思っていたのだ……やばい、懐かしすぎてなんかいろんなことがどうでもよくなってきた」


「おい、しっかりしろ」


 いきなりだらんと弛緩して椅子から崩れ落ちそうな体勢になっていった。


「……瞼に焼き付いてるから、今でも目を閉じるとはっきり浮かぶんだ……いやほんと、子供の頃の思い出ってどうして忘れらんねーんだろうなぁ……戻ってきてくんねーかなぁ……ああでも、あれから十数年か……うん、思い出にしておこう……やべ、エロ……」


 できたら忘れて欲しい。いらぬ独占欲というやつが、むくむくと出てきそうになる。


 母さんは僕のだよ、という、私も子供のようなものだ。


 いきなり書類がテーブルに叩きつけられ、激しい音を立てた。すぐそこで憤慨している泉の姿が。


「はい相良先生、頼まれていたものです、どーぞ!」


「あ、ああ、サンキュー」


「お願いですから」ずいっと下から覗き込むように顔を突きつける。「あたしら看護師をそーゆー目で見ないでくれます?」ちゃり、とメガネを持ち上げて。今日の、いいね、茶色も似合うよ。


「安心しろ、少なくともメガネは……お前最近、色っぽくなったよな? すまん、見るかも」


 ビンタされた。バカだ。


「サイテーです! もうっ。深町せんせーはいいですよ、どんとこいです」


「おい、差別だろ」


「いーえー。そーんなやらしー動機で医者になった人に言われたくありません」


「うるせぇよ、きっかけだって言ってるだろ。俺はバカだからな、なにかする動機は大抵そんなもんだ。ご大層なもんじゃない。じゃあ、これはありがとう。深町クン、今日でいいか? 早いほうがいいだろう」


「ああ、よろしく頼む」


 逃げるように(食べ終えた空箱を残して)相良は去っていった。歩きつつ書類をめくり、あっという間に仕事に戻っていく。やれやれ、ならいいか。


「なんですか、なにかあるんですか?」


「ああ、今日ちょっと診てもらおうかと思ってね、体に異常がないか」


「へー。せんせーたちお医者様は忙しいですからね、せっかくの休みにまた病院は嫌ですよねー」


「そうじゃ、ああそうかもしれないね」


 確かに、言われてみれば、仕事以外でここへ来ても仕事を考えそうだ。


「……こほん、せんせーそれ、片しといてくださいね、それじゃあ」


「ああ」


 なんだか最後、様子がおかしかったが……空き箱にゴミを詰め、持ち上げると、いつの間にか下になにか雑誌が挟まっていた。メモも一緒に。見えなかったな……泉の、丸っぽい特徴的な字だ。


『お昼休みに、それでお話がしたいです。それと! レポートの評点も』


 とある。雑誌は……有名なブライダル、情報誌だった。なるほど、そうだね、二人でしっかり話をつけないとね。おばあちゃんも納得しないだろう。さすがに人のいる食堂では言えなかったか。泉の声は通るしね。


 後者は昨日、いじる間もなかったことが悔やまれる。どれだけよいできだったかなど、ぜひぜひ教えてやりたい。まあ、濡れている様というのは、はっきりわかるように写すのは大変だし、ましてや携帯では、おっと、そろそろ仕事に戻ろうか。


 やる気充分、体調万全、なのだ。昨日あれだけバカをやり、睡眠もほんの三、四時間だったというのに。果たして自分の体が今どうなっているのか、調子がよすぎるだけに心配である。


 ろうそくの消える直前、最後の勢いでは、ないのかと。








 自分の診察室へ戻る途中、なんの気なしに昨日まで
奈々穂(ななほ)がいた病室を通ろうとすると、その前に一人の男子高校生が。この制服……部活か、以前奈々穂のいた学校の。


 ぼうっと突っ立っている。開いた扉の中に誰もいないことをわかっていて。午後からだったかな、こっちにまた患者さんが来るのは。


「こんにちは、どうしました?」


 声をかけてみると、彼はバツが悪そうに肩を縮こめらせ、そそくさとその場を去ろうとした。


「奈々穂ちゃんなら、別の施設に移りましたよ」


 背中に呼びかけてみる。ぴたっと止まった。


「よかったら場所教えますよ、ぜひ会いに行ってやってください、彼女も喜びます」


 もしも
五十川(いそがわ)の言ったとおりの、彼氏だったのなら。気にかけてくれる人をなくしたくはない。


「……彼女は元に戻るんですか」


「わからない。これから先もずっとあのままかもしれない、元の、君と同い年に戻るのかもしれない」


「……戻ってもいいことなんて、ないかもしれません。もう、クラスメイトだってろくろく、見舞いに来てなかった」


「……そうか。ありがとう、君は来てくれていたんだね」


「あ、いや……こっそりと、しか。彼女は俺のことなんて知らないだろうし」


「彼氏じゃあなかったのかな?」


 しっかりと首を振られる。「そうか、片思いか」


「……そういうのとは、違うかもしれない。好きなのかもしれないけど、なんていうか、よくわからない」


「そう、か。奈々穂ちゃんがああなって、気持ちが整理できずぐちゃぐちゃなんだね。本当にありがとう、それでもここまで来てくれていたんだ、ありがとう」


 思わず手をまた握ろうとしたが、相良を思い出し抑えておいた。


「ああ、いや、とんでもない、です……あなたと、笑って、いるところ、見ました。中庭で楽しそうにはしゃいでいるところ。無理に戻る必要はないと思います」


「……そうかもしれないね。戻るにしろこのままにしろ、彼女が暮らしていければそれでいいのだし。ああもう時間が、待っててくれすぐに地図を」


「知ってます、桜園。場所も」


「あ、そう? よかった、ぜひ訪ねてやって欲しい。彼女には一人でも多く友人が必要だ」


「……そうですね……せめて友達くらい」


「憲邇さーん! 来たよー!」


 背中からまゆの大きな声が聞こえてきた。同時に一礼して男子生徒はすれ違っていく。


 会って欲しい。君のような人がいればどれだけの支えとなるか、昨晩聞いたのだから。


 目の前の三人の女性が、どれほど私を支えているか、考えるまでもない。


「こんにちはまゆちゃん、病院では静かにね」


「はーい。これおべんとねっ、時間あったら一緒に食べてよ?」


 ピンクの包みを渡してもらう。親子だなぁ。


「ごめんね、お昼ご飯は一緒には無理なんだ、先約があってね」


「せんやく?」


「ほかの人と約束しちゃったってこと。こんんちは憲邇先生、今日も暑いですね」


「こ、こんにちは」


「こんにちは……」


 みゆはいつもどおりとして、巴はまた珍しく真っ白なワンピースに麦藁帽子と、春花と見間違えるかと思える服装だった。はぁ……モデルというのは、凄まじい職業だなぁ。帽子をとって会釈する巴に惚れ惚れとしてしまう。


「な、なに? や、やっぱり変かしら」


「いやいや、とんでもない。似合っています、驚いただけで」


「あ、そ、そう。ありがとう」


 長い髪を後ろへ流すようにかき上げると、また、どうも、やばい。


「きしし、憲邇さんっ、今から取材してまわるから言っといてっ、それとあとでお説教だよっ」


「わかった、説教?」


「ないしょっ。ほんじゃねっ、いこみゆちゃんっ」


「あ、うん、そ、それじゃあまた、あとで」


「こらまゆちゃん、走らないの」


 ピンクの桜の腕を掴み引っ張っていく元気なそばかすを、被り直した麦藁帽子が追いかけていく。


 頬が緩まざるを得ないくらい、涼やかな光景だった。カメラのないことが悔やまれる。


 踵を返し、よしと仕事の英気を養えてしまった。やはりおかしいかもしれん……
















 ようやっと体調が戻ってきましたわ。お母さまはまだまだ、ふふ、経験が浅いようです。


「花雪……もう起き上がって平気ですの?」


「ええ、お母さまはもう少しお休みなさいませ。私は
花織(かおり)の様子を見て参りますわ」


 少々心配ですわ、あのおてんばがほかの方に迷惑をかけていないか。


「ああ、お願いしますわ……んぅ……」


 まあまたもぞもぞもぞもぞ、まったくもう仕方のない女ですわね、ふふ。着慣れた浴衣が崩れるほど寝返りを打っておりますわ。あっちこっち長い黒髪が踊っているよう。温泉上がりは本当、くせっ毛もなく跳ねもせず、さらさらですわね、お互い。


 上にかかる薄布と右手と、お腹を、いついつまでも重ねたままで。


 こちらに留まるのはお昼までだそうですので、あとわずか妹が暴れまわってないかと、大きな談話室をまず訪ねたのですが、そこには数人ほかのお客さんがいるだけで、花織はおろか桜園の子供たちもおりません。困りましたわ、どこで遊びまわっているのでしょう。そういえば
絵里(えり)さん、柚香里さん奈々穂さんもそろそろお風呂から上がったほうがよろしいかもしれませんわね、女は湯上りに時間がかかるものですし、花織が終わりましたら声をかけておくとしましょう。


 ……耳を澄ますと……遠くより、妹の歌声が……聞こえてきました。なにやらおかしい、声量がまるでマイクでも使っているかのような、あ、消えました。方向を辿って歩いていきますと、少し大きなお部屋の前に着きました。昨夜の宴会場とは別のようです。


 襖の向こうから今度は別の、若干照れたようなベッキーさんの歌声が聞こえます。それに混じりなにやらしわがれた話し声も。開けますと……


 中で大勢の子供たちが、お年寄りの方々に見守られながら、なにやら機械の横でマイク片手に、歌っておりました。襖が開いたことに気づくとベッキーさんは照れが増し、歌うのをやめてしまいました。すぐに閉めます。


「あ、お姉さま。お姉さまも歌います?」


 すぐにこちらにやってきた楽しそうな花織に、あちらの方々は? と訊いてみると、あちこちを遊びまわっているとここに着き、からおけ……ああ、カラオケを勧められたそうです。それでみんなで歌っているのだとか。あの機械はカラオケのですのね、なるほど。


 ……ずいぶんと、お年寄りの中には赤ら顔の人も多くいるようでした。まだ真っ昼間だというのに、眠っている方もいるようです。花織いわく昨日からこの調子だとか。なんとまあ、お元気なこと。このむっとくる匂い、お酒ですわね……少々、きついかも。


「すみません、花織がご迷惑をかけていませんか」


「いやいや、そんなことないぞ、子供たちはみんな元気があってよろしい」


 比較的しらふに近そうなおじいさんが答えてくれます。「年寄りの無理をこの子らが聞いてくれたんだ、ありがたいこって。滅多に子供と話すことはなくてな、楽しいよ」


「まあ……」


 酔った方というのはやはり、その、手に負えないようで、桜園の子供たちは次々とお菓子を(十中八九お酒のおつまみでしょうけど)勧められ、どれだけ断ろうと食べさせにくるしょうのなさに根負けしている様子。これは……仕方ありませんわね、もう。お酒だけ注意しておきましょう、昨晩ひどかったですの。泉さんときたら。


 どうにかベッキーさんがしどろもどろに歌ったのを周りの数名がてんやわんやに大きな拍手で、猫かわいがりをしていました。困惑しつつも、どこか楽しそうに彼女も笑みを返しています。


「いやーうまいもんだ!」


「ねーお上手お上手ー」


 返事も聞かずに口々に言いたい放題ですの。


「みんなカラオケははじめてでしたの。楽しいですわ、次はどなた?」


 花織は匂いも酔っ払いさんたちも意に介さず、本当に楽しんでいる様子。まるで花織自身も酔っているような……まあ、それはないでしょう。次の子が歌い出すと今度は回りにいる方が手拍子をしだしました。子供たちものりのりですわ。


 これならあまり迷惑もかけていないようですし、安心しました。花織に一つ言付けをしておいて、柚香里さんたちにも声をかけに行きましょう。


「花織、そろそろおいとましませんと、きりのよいところで戻ってきなさいね」


「はーいっ、せっかくですからお姉さまも」


「私は歌いません、ああ、お酒も飲んではいけませんよ」


 本当、この方たちと気の合うこと。まったく、我が妹ながら呆れますわね。


「おいバンさん、これ見ろ、身元不明の男女の、変死体だってよ、ほら見ろ、お前さんとこの嫁夫婦じゃあないか?」


 朝刊を片手に本当に酔っ払いというものは、冗談交じりになんてことを言うのでしょう。私は付き合いきれませんわね、その、深町さま以外……酔うてくださるところ、見たいですのに。


「バカ言え、うちのはぴんぴんしとるわ、こんな若くもねぇよ。おうそれより野球、どうだった?」


「マイさんのとこ、まだくたばってねぇのか、しぶてぇ野郎だ」


「やあね、焼死体とか。楽に死にたいと思わないのかしら」


「ねー、こっちは衝突事故、やだやだ」


「うちのもんはいねぇのか? ああ、今日もいねぇな、おーええ声だ、こりゃあ将来べっぴんさんだなぁ」


「野球どうなった? ゴルフかわいいのはわかっとる、野球だ野球」


「ああほら、かんちゃんのとこ初孫ですよ、ああかわいい」


「おーこりゃかわいいわ」


 私が横を通り過ぎて襖を閉じてなお、ここまで声が通ってきました。話の内容もめちゃくちゃの、てんでに話したいことを口にしているようでした。なんとうるさいこと。


「あはははははは!」


 どっと今度は大きな笑い声。ふふ、楽しいなら仕方ありません、たまのお泊まりですものね。


 さてと。次は温泉を目指します。つい先ほど、うふふ……


 気づけば自然と、私もお母さまの娘でした。








 でも、到着するとちょうど湯上りに遭遇し、なにも私共に限ったことでないとわかるのです。


「余計なお世話でしたわね、ふふふ」


 奈々穂さんの、幸せそうなさすりよう。でれでれ、「せんせぇ」、でれでれ、「お兄ちゃん」と、まあまあ、ふふ。若干歩きづらそうなので、もしかしたら、ふふふ。お母さまとおんなじでしょうか。


「そんなことないわよ、ありがとう、知らせてくれて」


 柚香里さんはさすが、二子も授かっただけにでれでれのありませんこと。小憎らしいですわね、ふふ。まあお綺麗な肌ですこと。


 タオルを巻いたままうまく肌を隠しつつ、絵里さんも体を拭いておりました。ええお腹をときどき、ふふふ。奈々穂さんがうまく髪を拭けないと言うと、「しょうがないわね」と手伝ってあげるのです。奈々穂さんは微笑みつつ、そっとまた自分をさすり、そしてなにか思いついたかのように振り返り、絵里さんも触ります。


「こら」


「ちょっとだけ、うぅん、こいじゃあわかんないなぁ。ゆかりさんもさわっていい?」


「ダーメ。そんなに待ち遠しい?」


「うん! ななほねーえ、さえこお母さんみたくおいしいしちゅーつくってね、ひろこお母さんみたくよしよしやさしいお母さんになるの」


「まあ、それはいいですわね」


「でしょっ、えへへ、せんせぇお兄ちゃんのあいて、たいへんだけどねぇ、やりたいなぁ。せんせぇもうちょいせっきょくてきになんないかなぁ」


 ……気づかれてのことでしょうか。どきどきです。


「これからなるわよ、憲邇のばかは」


「ええもう、これからまーいにちかもよ?」


「うわぁ、そいだったらたまんないねぇ。ななほぐっちゃぐちゃにつかれちゃうよ。ほどほどがいいな」


「そうですわねぇ。あ、そうだ、奈々穂ちゃんにも教えますわ、どうやったら男の人をその気にさせるか」


「わぁ、おしえておしえてっ」


「動かないの」


「ですけれど、あまり人前でみだりに話してはなりませんよ? お腹も、さすりすぎはいけません。奈々穂ちゃんはまだ五歳です、ほかの方に赤ちゃんがいると知られると驚かれますからね」


「はぁい。そうなんだよねぇ、あんましいっちゃいけないんだよねぇ、つらいなぁ」


「はい、あとは自分で拭きなさい」


「はぁい。あっちのおねえちゃんたちはいっていい?」


「桜園の? だったらいいわよ、憲邇のことは知ってるから」


「そっか、じゃあいいや。これからあそこですむからね、じまんしちゃお」


「あそこで? 深町さまの宅には移りませんの?」


「いいの? あっちすんで?」


「いいわよ、奈々穂ちゃんが住みたいのなら。お部屋はまだたくさん……はないから、誰かと一緒になるけど」


「わぁ……やったぁ!」


 柚香里さんの二つ返事に、飛び上がってはしゃぐ奈々穂さん。金星人のためかぽろっとタオルが落ち、まあ、なんとまあ……!


 慌てて拾い上げ元に戻そうとするくらい、ものを教えてもらってはいるようでした。深町さまのせいで、若干の照れも恥じらいもあるようです。五歳の娘に、なんとまあひどいことを。責任とってずーっとお腹をさすらせてあげないといけませんわね? ふふふ。


「えっへへ、うれしい。そっかぁ、せんせぇといっしょいいんだぁ。やったね、さえこお母さんもいっしょでしょ?」


「ええ、いるわよー? 口うるさいからね、気をつけなきゃ」


「えー? そんなことないよ、さえこお母さんいっぱいわいわいでたのしいもん」


「それは絵里さんにだけですわ、理由は言わずもがなです。はい、反論無用、早く着替えてくださいな」


 なにかを言おうとした絵里さんを抑え、お三方の着替えを拝見させてもらいます。将来のためですわ、体のラインを、やはり目標を持ちませんと。お母さまのよいところももちろん、この方々からも、よいところを集積して、私に活かすのです。


 私らしく、美しくなって見せますわ。ええ、目指すは金星人ですの!


「……」


 すかすか、ですけれど。せめて早く、絵里さんのようにささやかとぐらいは言える程度に……あ、失礼。意外と……ありますのね。


「悪かったわね、図体でかいくせにちっちゃくて」


 なにも言っておりませんのに。
















 毎日ノーパンで過ごせ、でないと許さない。だったら、実は、とてもすごく仕事に身が入って助かるんだけど。せんせー慣れちゃダメとか抜かしやがるし、まあいいか。


 お昼になっても、目の前のせんせーはご飯よりまだお仕事中。画面に映る文字列と睨めっこし、せっかくの二人きりが台無しですわ。


 別にいいけどね。この顔が、好きなの。この顔に、奪われたの。寝食を忘れるほど夢中になる姿に惚れ惚れだわ。


 あたしのほうだって時間があるわけじゃない。けど、この時間だけは、決して邪魔をしようとは思えなくなっていた。前はねー、わかってて邪魔しちゃって、ごめんねー。はい、あーん。


「……」


 画面を見たままぱくり、もぐもぐ。咀嚼をしている。バカだ。今なら顔に落書きしても気づかなそう。


「……うん、よし、っと。ごめんね、つい」


「いーえ。もういいんですか? 別に今日じゃなくともいいんです」


「ああ、うん。一区切りは。えっと、でも、式は挙げるといっても仮なわけだし」


「うるさいです、凝らないとおばあちゃん気づきます」


 またも雑誌をぱらぱらさせつつ、あーんしたものをそのまま口にし、もぐもぐ。バカっぽい。


「うちの親戚一同に話を通す必要もあります、一緒にご挨拶です」


「あ、ああ、わかったよ」


「せんせーのほうも口裏合わせてもらえる親戚、一緒に挨拶行きましょーよ」


「……うぅん、やめたほうがいいかなぁ。一人に知らせると彼らは伝染するしなぁ。大勢でよってたかって、面白がるに決まってる」


「いいじゃないですか、派手にいきましょー!」


 意気込んで顔を寄せると、困った顔ででも、断りきれぬ意志薄弱男。


「そうだね、派手なほうがいいか。みんな忙しいだろうしね、本当の式ならともかく」


「まあ、そうですよね。あんまり無理を言うのも悪いですよね。あ、せんせー、費用は半分こですよ? 全部自分で持つ気でいられると困ります」


「うん、わかってる」


 おや? いつもなら私が私がって、なるはずなのに。海でなにかあったな、それとも旅館でなにか……いっか。せんせーさすが男の子! あっという間に変わるもんよ。


「式だけなら段取りは少なくていいですよねー。特に難しいとこはなさそう。えっと、そうそう、ごほん。衣装についてですが」


「うん」


「……せんせー、ぷ、プレゼントして、くれましたよね」


 誰もいないよね、扉の向こう。これ聞かれたらことだわ。なるべく小さく。


「あれをですね、ごほん、ウエディング用にちょこちょこっと、んん、こっちで手直しするとお安く済むんですよ」


「ああ、そうなんだ」


「なので、ご心配なく。せんせーどうします? レンタルならここがお安いそうな」


 さっさと次の話題へ移り、なるべく誤魔化しにかかる。


「洋式ならそうだね、悪いけど今回はレンタルかな。ほんば」


 しー! と唇を塞ぐ。どこでもかしこでも、せんせーは口が回りすぎです、でかいですっ。


「……うん、ごめん。レンタルで、ここに試着に行こうか」


「はい。せっかくですし指輪も二人で見に行きません? 結婚指輪は二人で選びましょーよ」


「うん、そうしようか。ごめんね、でも行ける時間は大抵、仕事終わりになると思う」


「いーえ。わかってますから。あたしこそおばあちゃんの手前、あんまり遅くまで打ち合わせもできやしませんし。とりあえず会場の日程ですよ、そこ決めて、それからご挨拶?」


「うん。教会なら私は知己のところがあるし、そこなら話も通りやすいかな。ちょっと連絡しておくよ」


「はい、お願いします。よければそっちにも挨拶に」


 うわー、時間足りるのかなー。式だけで挨拶周りの大変さ。連絡も密でしょ、それとドレスの用意、着せてくれる人は誰に手伝ってもらおうかしら、なんて、これ本番ってもっと面倒なんだろうなー。前は触りだけで並びゆくしなければならないことに、やらないという元のあいつを奮い立たせないと一人じゃとてもと、日々の忙しなさに負けてあれよあれよと流木になったっけ。ここで齟齬のあると、もう夫婦は難しいのかなー。


 ……サプライズはどうしようかなー。擬似結婚式だからこそ、いけないことをしたいかも。せ、せっかくだし、こっそり、のーぱ……お昼休みが終わり、結局また、例のレポートはいじってもらえず。とほほ。


 と思いきや。せんせーのバカ野郎はさわさわなでなでをくれ、耳もとで一言だけ。


「よかったよ」


 また今度、じっくりね。唇だけ動くに、目線を逸らし、後ろ足でじりじり交代しながら、頷くと同時に出てしまう。


 見られた……っ。せんせーに、あたしの痴態……! 真っ赤に染まりゆく我が頬をパンと叩き、気を引き締めてお仕事に戻っていった。


 ……おべんと箱、忘れちゃった。まあいっか。あとで、うん、あとで。
















「まさか、ねぇ? 
沢田(さわだ)さんが深町先生捕まえるなんて、ねぇ? 思わないでしょ?」


 泉のやつから、閻魔と噂のある看護師の長は、こういうことを話している今だけは近所のおばさんのように見えた。一応、名目はまゆちゃんのお仕事取材だというのに、この人は仕事の大変さもそこそこに人の噂話をしたくてたまらないようだった。


「でも泉さんから聞いたんじゃないんでしょ?」


 まゆちゃんの面白そうな声。


「えーでも、ブライダル雑誌買ってて、沢田さんは深町先生にぞっこんって自分でずっと言ってるのよ? そうじゃない?」


「えー信じらんねーなー。泉さんなんて言ってるの?」


「それがねー、これはおばあちゃんのためなんですってよくわかんないこと言うのよ。なんなのかしらね?」


 それ以上、きっと言ってるけれどこの人の耳に入ってないのね。そんな人に見える。


「あれじゃん、おばあちゃんが一目でいいから、死ぬ前にお前のはなよめすがたが見たいわぁ、でしょ?」


「えー? 沢田さんにそんな殊勝なところが? とても思えないわー」


「ちょっと、失礼ですよ。泉は祖母の介護を毎日しています。おばあちゃんが好きなんです。叶えてあげたいって思うのが人情でしょ?」


「見えないわー、とてもじゃないけど」


 見えないんじゃなくて見てないんでしょ、泉のことなんか。と、むかっ腹を立てるのを抑え、そろそろ次の人いこっかとまゆちゃんの肩を叩く。


「え、あ、うん。そんじゃありがとうございましたっ、またね」


「はい、またね。そうよ、それでなんで雑誌いるの? いらないでしょ、ぽんぽん済ませちゃえば」


 まだ一人でぶつぶつ、いるわねああいう人。なに聞いても自分に都合よく曲解しちゃう人。噂話に尾ひれをつけるのはああいう人なのね。


「あの人もったいないね、泉さんのいいとこ全然わかってないじゃん」


「そうよ、もったいないね」


「泉さんやさしいのにね……みゆたちにお料理、あんな上手に教えられるのに」


「あ、教えてもらったんだ? 泉料理うまいでしょ?」


「は、はい」


「あいつ照れてこんなの誰も作る人いないからなだけよって、言ったでしょ?」


「あー言った言った。なんでだろうね」


「ほんと、なんでだろうね」


 意外と照れ屋なだけよ、ふふ。


 それからもう少し、子供たちの取材が続く。お昼を食べて元気いっぱいのまゆちゃんが、束の間の休憩や仕事中に突撃していく。ごめんねと断る人も多く、お昼を過ぎるとなかなか取材は難航していった。


 それでも、子供たちに話す、噛み砕いた業務の端々に。大変だと、苦労が滲んでいた。


 看護師を探す間にも患者さんにも、それはすれ違うけれど。マナーの悪い患者さんも、いないわけじゃあなかった。悪い医師もいれば、患者のほうが悪いことも、それはある、のね。医師のほうばかりをメディアは取り上げている気が、若干沸きつつある。


 この病院がまだ小さかった頃。あたしがお世話になった頃でもう、老朽化が進んでいた。でも、医師のほうはわからないけど、患者さんはあの日々とまるで違うと、確かに言える。


 言える。まるでニュースで取り沙汰されるようになったのだからと、いい気になっているようにさえ。


 次にようやく話をしてくれている人が途中で、背中を呼ばれたので少し距離を置き、なにかを二人で話し合っているのが、こちらまで聞こえてしまった。すぐに終わってこちらに戻り、笑顔をとってくれたけど。内容が聞こえてしまう。


 また常連さん、だそうだ。救急車を呼んでおきながら、到着するとやっぱりいいやと、乗らないそうだ。軽傷だそうだ。困ったものだそうだ。


「えっとね、じゃあ次は」


「今の人の家を教えてください」


「……え?」


 驚いている、疲れた看護師。苦労がしわに滲むほど、毎日で擦り切れているよう。


「今用もないのに救急車呼んだバカの家を教えてください」


「……えっと、お気持ちは嬉しいんだけどね」


「いいから」


 顔を寄せると帽子がぶつかってしまった。「あ、ごめんなさい」慣れないことはするもんじゃあない。外しておこう。


「……それを言うのはね、同じようにモラルを欠如していると、言うようなものでしょ?」


「……」


 困った顔でそれでも、子供の手前笑顔になる。「あなたたちはダメよ? 救急車見たいからって、なんにもないのに呼んじゃあ」


「うん、わかってるよ。巴さんどしたの? ちょっと怖い顔」


「それじゃいつになったら」


「大丈夫、うちは院長が怖いから。あの人はこれでお終い。正式に訴えを届け出るの」


 あ、なーんだ。「市も、県もね、悪質なものには対処してくれてる。これでも減ったもの」


「すみません、余計なこと」


「いえいえ。お気持ちは嬉しいわ。あなたはまるで、うちのトリオみたい」


「とりお?」


 まゆちゃんの高い声。「そう、同い年の三銃士よ、五十川先生と、相良先生、それから深町先生の三人のこと。みんな同期の桜でね、仲いいの」


「へー」


「ほら、制度が変わって早くに医師になれるようになってからの、最初の三人なの。みんな早くになっても意味ない、ろくでなしだろうって眉唾だったけど、あの三人は凄いわ、どれだけ胸を張ってここの医者ですって、声高に言いたいか、ふふ。院長が怖いのは五十川先生が怖いからなの。さっきみたいな人、自分の目に入ったら殴りに行くのよ、真っ先に。若いからなんにも怖くないのね、あなたと同じだ」


「いえ、そんな」


「それは残りの二人も一緒。あの三人の耳に入れないように、こうして伝言レースをしてるんだから」


「へー、憲邇さんも聞いたら飛んでっちゃうんだ?」


「ええ。普段とは似ても似つかない、恐ろしい形相で鬼みたいに怒鳴りつけるんだから」


 頭の横に指をとんがらせ、楽しそう。時間いいのかな、結構話し込んじゃったけど。


「三人揃ってこの病院のアイドルなんだから。あーあ、沢田さんに深町先生持ってかれちゃったし、相良先生も最近彼女できたみたいだし、ちぇっ」


 一応結婚指輪があるので、半分冗談なんでしょうね。冗談でしょうね?


「違うよ、泉さんはね、おばあちゃんのお願い聞いてあげるんだって」


「ああ、そうなんだ? ふぅん、やっぱり閻魔の噂は話半分にしないとね、ふふ」


 ああ、仲間内でもこうか。ほんと看護師は大変そう。


「……あの子ら見てると、在りし日の紗絵子さん思い出すわね。ふふふ、戻ってきてくれないかな」


「え、紗絵子さん?」


 急に出てきた単語に、あたしだけがびっくり。あれ、二人とも知ってたの?


「そうよ、昔はここにお勤めしてたの。あら、お母さん知りませんでした?」


「……どうりで……」


「あ、あの、巴さんは、みゆたちのお母さんじゃないです」


 あたしがあの人から感じ、ずっと引っかかっていたもやもやしたものを解消している間に、みゆちゃんが訂正してくれていた。


 そういえばどこかに救援に出かけていたって、聞いたような。看護師の経験を活かしてってことか。全然覚えられてない、あいつに夢中で、その周りまでは。


「なーんだ、ずいぶん若いなぁとは思ってたけど」


「じゃあ、同僚だったんですか」


「ええ、それはもう。そっか、もうあのときいた人は私くらいか。彼女はね、明るくてファンが多かったのよ、ふふ。若くして二児の子持ちでもね、それだけに苦労してきて、それでも笑って、明るくて元気溌剌、天真爛漫でね、群がる男をばったばった、振っちゃってたわねぇ」


 しみじみと、当時を思い返してか感慨深く呟いていた。


「本当、大変だったと思うわ。夫も早くに、亡くなってね、それでも一人で子供を立派に育てて、一人はここで働いてくれて。苦しかったでしょうに、ここじゃ笑顔を振り撒いてね、私には相談してくれたの。お金のこととかね、家計はそりゃあ苦しかったみたい。どうしても工面がつかなくて、一人は養子に出すしかなかったようだし。その前だったかな、代理母を引き受けてね、当時は少なかったし、紗絵子さんもやむなしに報酬が高かったから、子供たちにちょっとだけ我慢してねって、私にも様子を見てほしいって言いながら単身外国へ飛んでねぇ。ところがどっこい、本当のご両親が事故で他界しちゃってねぇ。産んだ愛着もあったんでしょうし、育てようって決心して帰ってきた紗絵子さん、素敵だったわ。……でも、無理が祟ってね、結局体を崩しちゃって、育てることができずに深町先生を残して娘さんは二人とも手放すしかなかったの。彼女のお父さんもその頃亡くなってねぇ、ごたごた続きで、しょうがなく。それから医師を目指してくれた息子さんにバトンタッチして、逆に看病してもらいながら、徐々にまた元気になってね、ときどきこっちに顔を出してくれて、すぐに復帰したの。今じゃ外国を飛びまわってるんだからすごいわぁ、本当……」


 止まることなく次々と話してくれた。この子たちも初耳が多いのか、ぽかんと口を開けて相槌を打つ間もなかった。


「あら、ごめんなさいべらべら、余計だったかしら?」


「いえ、とんでもないです。紗絵子さんは自分の話はあんまりしないので」


「でしょう? 苦労したって、隠そうとする人なのよ、なんでもないことだってね。敵わないわ、いつまで経っても、あの親子にはね。あ、紗絵子さんには内緒よ? ふふふ、五十川先生も相良先生もね、実は子供の頃に紗絵子さんにお世話になったからお医者さんになろうとしたのよ」


「ほえー、そーなんだ?」


「五十川先生はいつも威勢がいいけど、恩人の紗絵子さんにだけは頭が上がらないの、ふふふ。憧れの人だからね、見ていておかしいわ。あの子たちも昔は躍起になって紗絵子さんの下着覗こうとしてたのに、年をとったものねぇ。あ、ごめんね、そろそろお終いでいいかな?」


 時計を見て長々と話したことに慌てて、しゃがみかけの姿勢を起立させる。


「うん、ありがとっ。がんばってねっ」


「が、がんばってください」


「お疲れ様です。無理しないでくださいね」


「……ありがとう。やる気出てきた」


 よしとガッツポーズをとり、困ったように笑うのはきっと癖で、そのまま手を振って別れた。


 ああいう、いいおばさまになりたいものね。この人の言うように、紗絵子さんのように。


「やっぱりお仕事って大変なんだね、みんなつかれてそう。うし、この辺でやめとこっか」


「う、うん。もういっぱいわかったしね」


 ぱらぱらと子供の自由帳には、まゆちゃんらしいちょっと乱暴な文字で看護師の仕事が書かれていた。


 最後に一言、書いておく。


『かんごしってたいへん! とってもえらい!』


 子供のひらがなが、すべてを物語る。


 あたしももう少し、泉には優しくしよう。これからは泉も憲邇先生も、通り過ぎる巨乳の
広子(ひろこ)さんにも、もっとの労いを送らねば。


 うぅんでも、広子さんの男が夢見る理想の白衣の天使(エロい意味含む)は、なんだか色眼鏡をかけそうだ。ほら、次々声かけられて。やっぱり大変そう。在りし日の紗絵子さんというには、少々大人しいかも?


 まずはメイドで武者修行、かな。メイド、うぅん、これでもう勇気が……二人の子供と手を繋ぎながら、帰り道に悩みのタネは尽きないようだった。
















 私たちが旅館を出るときになっても、早川さん夫妻はずっと腕を組んだままで見送ってくれるみたい。良子ちゃんの私服、久しぶりかも。あっちじゃメイド服ばっかりだもんね。やっぱりみーんな、スカートだ。かわいくっていいなぁ。私も似合うようになるのかな。


「勲ちゃんたち、本当に泊まるの?」


「ああ、せっかく来たしな」


 もう観念したのか、旦那さんのほうは離れてくれよと苦言を引っ込めてる。よし、みんないるね。


「今日はありがとな、千歳。詩音さん、よく考えてくれ、返事はいつでもいいから」


「……はぃ……」


 どうしようか迷ってる。けど、私は引き受けてもいいと思う。


 それくらい、あの絵で憲邇様に身を、焦がしてる。ダメダメ、昨日あんなにいいことしてもらっといて、へっへっへ。


「それより千歳、いいのか時間」


「あ、いけない。それじゃあみなさん、また」


 慌てて千歳さんはデートへ向かっていった。憲邇様以外の人とデートだなんて、体は許しても心は許しちゃダメだよ、ね。


 普通の普段着で、あんなにも麗しいのに。中身は危なっかしいよなぁ、大丈夫かなぁ。


 光さんはとっくに撮影会へ。あれこれ吟味して厳選した三着のみ持っていくんだって。ポージングを紗絵子さんからしっかり教えてもらい、かなり意気込んでた(気合の入ったよそいきだったし)。クラスメイトの可奈さんは呆れ顔で一緒に旅館を出て、ぶらぶらするんだって。


「それじゃさようなら、ふふふ、お二人さん、ここにあんまり迷惑かけちゃダメだぞ?」


 楽しげに静香さんの姉が口に手を当ててほくそえんでる。「お姉ちゃん、もう」


「嫌だ、ねぇ勲さん?」


「……ノーコメント」


「勲さん、勲さん?」


 みんながいるのに、気にせず奥さんはくいくい袖口を引っ張ってる。この人は人目を気にせずいちゃいちゃするんだ、憲邇様みたい。


「……あのですね」


「む、最近お前は夜に遠慮ばかりしてるぞ、どうしてだ?」


「いや、俺はともかく百恵は仕事に忙しいだろう? 疲れてるなってときはやらないさ」


 なんだか痴話ゲンカが始まりそうだったので、みんなでこっそりさようならをする。ゆっくりと歩きながら、でも背中から聞こえる仲良しな二人にみんな微笑んでた。


「そういうのを余計なお世話っていうんだ、お前にめちゃくちゃにされるのは別腹だ、疲れも飛ぶんだぞ? 翌日は元気に出社だぞ? お前も疲れてないときでいいから、襲い掛かって来い、なんのための二人の城だ、毎回めちゃくちゃに……してくれ。お前も大変かと思うが、できる範囲でいいから」


「……わかったよ、めちゃくちゃにしてやる。だから頼む、こんなところで」


「お願いね、勲さん」


 わぁ、キスの音。


 駐車場まで来ると大口先生はそわそわと最後に一言。


「じゃあお姉ちゃんあっちゃんに押し倒されてくるから、今日は帰らないわね、静香」


「わかった、連絡しとく」


「お願いねっ。待っててあっちゃんっ、らぶらぶしようねっ」


 言うが早いかあっという間に車のエンジンがかかり、予想外に荒々しい運転を披露して
佳乃(よしの)さんは去っていった。よっぽどみたい。私も憲邇様に押し倒されたくて辱められたくて今も悶々してるけど。


「さて、これからどうしよっか?」


「運転は私がしますね」


 誰よりも早く良子ちゃんが名乗り出る。じゃあと、私ももう一台を運転させてもらった。


「あ、じゃあ自宅までお願いできるかしら、
上山(うえやま)先生に会わないと」


「はい、ひとまず帰宅しましょうか」


「そうね、それから考えましょうか」


「さえこお母さん、ななほのにもつ、むこうのおねえちゃんたちのやつどうするの?」


「ああそうね、じゃあそれもお引っ越ししちゃいましょっか」


 みんなでわいわいと大きな車に荷物を載せていく。ここも楽しかったねって、みんな名残惜しそう。私のほうに紗絵子さんと奈々穂ちゃん、それから桜園の子供たちたくさんでほぼいっぱい。残りは憲邇様の家へ良子さんが運んでく。みんなの荷物を手際よく詰め込んでく、紗絵子さんは保母さんか先生みたい。昨日の営みが実れば、ああもしっかりとなれるのかな。


「はい、お終い。ん? どしたの
(めぐみ)さん、やっぱり私がする?」


「いえ、なんでも」


 なんだろ、明けて急に紗絵子さん変わった気がする。温泉効果かな? 私もお肌が別人で、奈々穂ちゃんは見事に玉の肌だ。


 娘を撫でる、母親が巨人に見えた。


 ……なるべく静かに、憲邇様みたいな穏やかな、運転をしよう。そう心に留めながら、エンジンをかけた。








 施設の人には話をつけてあるのか、到着したら既に奈々穂ちゃんの荷物がまとめられていた。出てきた
朝倉(あさくら)という若い青年は「いい子にしてたかー?」とにっこり、みんなを出迎えてくれる。


「あ、紗絵子さん。お久しぶりです」


「久しぶり。ありがとうね、奈々穂ちゃんの」


「いえ、先に連絡受けてたもので、逆にやることあって助かりましたよ、暇だったんです。くっそー、お前らいいよな、温泉旅館だってー? あはは」


 みんなの頭をなでくり回し、ちっちゃい子には高い高いをしてあげてる。仲良さそう、子供好きのいい人みたい。


「ん……パトリシアは、また向こうにしばらく?」


「ええ、ちょっと」


「そうですか……ああ、初めまして」


 辺りを見渡してパティちゃんのいないことを訊ねると、私と奈々穂ちゃんに気付いて会釈をしてくれる。


「初めまして、長坂愛といいます」


「はじめまして、ななほだよ」


「どうも、朝倉です。ふむ、あなたは愛人何号?」


「この子はねぇ、確か十四号よ、私は十五号」


「ほうほう、たいしたもんだ、先生も」


「あいじんってぇ? ななほはなんばん?」


「愛人っていうのはね──」


「……」冗談だって、わかってるよね? 紗絵子さんが言うから。なにかごにょごにょ、さすがに違うよね?


「よし、ほんじゃお前らは荷物入れてこい、三分以内、ダッシュ!」


 手を叩くと同時にみんなが慌てて荷物を持ち上げて入り口へと殺到していった。後ろから「終わったら遊び行っていいぞー」と声がかかると、さらに加速しているよう。その間にみんなで奈々穂ちゃんの荷物を運んでいく。……見た目通り、奈々穂ちゃんは非力だった。


 四人だものであっという間に、こちらは終わってしまう。ふうと一息。


「紗絵子さんはいつまでこっちに?」


「そうねぇ、割と今回は長いと思うわ、要請もしばらくないってことだし、緊急まではね」


「そうですか。だったらゆっくりしてってください。こいつらにもときどき、会いに来てくれると」


「ええ、もちろんよ。息子がここの父なら、私はおばあちゃんだものね、ふふ」


 二人揃って、にこやかに微笑みながらばたばたとうるさい声がここまで届くのを眺めていた。ここからでも走り回る子供たちの、なんて元気のいいこと。


「長坂さんもよければ遊んでやってくれますか、奈々穂ちゃんも」


「はい」


「はぁい!」


 来てみたい。この子たちが楽しそうでいると、私も元気をもらえそうだから。


「終わったよーいってきまーっす!」


 荷物を片付けた子から次々と玄関をくぐり、靴を履くのも半ばに飛び出していった。苦笑いしながら見送る朝倉さん。


「あんまり遠くへ行くなよー」


 でも、嬉しそう。


 あっという間に騒がしいのが終わり、施設はすっからかんになった。


「いいの? ここで遊ばせなくて」


「いいですよ、今日くらい。あんなに楽しそうなのは久しぶりだから。あ、でも一応みとかないとな、行く先は大体見当つくし。なにかあったらそっちへ連絡しますし、そちらもお願いしますね」


 忙しい人だ。大きなお家に戻り、あっという間に戸締まりを確認して、走って飛び出していった。まっさらな空のため、すぐに汗だくみたい。


 いい汗だけど。良子ちゃんがちょびっとだけ、わかる気がする。


「相変わらずねぇ。ね、奈々穂、あいつわるもん? それともいいもん?」


「いいもん! あんなせんせいだったらいいなぁ」


「ねぇ、ふふふ。さて、それじゃ戻りましょうか、私たちのお家へ」


「はい」


 もう一度私が運転席へ。みんなのご主人様の大きなお城へ、戻らなきゃ。


 戻ったら……使っちゃおう。決めてある、あれ……
















 様子が変だわ。会ってすぐ、上山先生の様子がいつもと、ほんのわずかな差異だけど違うことに気づいた。


 まず父がいない。そりゃあ家を留守にすることもあるでしょう。お休みだから気を使って息子と彼女を二人きりに、とそれもありえない。なぜならもうすぐ結婚する二人、ここで遠慮は、あのお父さんがしようとは、なんとも思えない。


 まさか……まゆがまた、過呼吸? どこか人目を忍ぶような素振りを見せる先生にそわと、こちらも居住まいを正して座り直した。出してもらうお茶に手が伸びない。


「話って……?」


 じっとりと、詳細を聞けるように訊ねた。目を逸らさない。さっきからこちらの視線を避けようとする、生真面目そうな彼がお茶を濁すように、差し障りのない話題から入った。


「今日はまた、どちらへお出かけを?」


「家族で温泉へ、帰りです。主人はそのまま仕事へ、まゆは夏休みの宿題を。あの、先生、はっきり言ってください。なにが……?」


「そ、そうですか。仕事へ……そうか、あの病院へお勤めか」


「? 上山先生?」


「急にこちらへ来るので電話がきたときはびっくりしました。慌てて片して、はは、汚いでしょう」


「あの、先生」


「ああそうだ、この前は本当に助かりました。カレーもおいしかったし、添えつけのサラダも」


「先生! 誤魔化しはいいんです、どうして呼んだんですか?」


「……話が、したくて……」


「……え?」


 ちょっと意味がわからなかった。それはそうだわ、話がしたいから話があるって、まゆに言付け……?


「……電話で呼ぶのは、気が引けて、その、まゆちゃんをだしに。すいません」


「……あらら、まあ」


 思わず口に手を当ててしまった。「なあに、ほんとに浮気したいんだ?」


 びくっとなる、かわいい青年。しょうがないわねぇ、新任だっけ? この際、少しのいけない公私混同は大目に見ましょうか。


「ダメよ、あなたにはきちんとした婚約者がいるんでしょ?」


「そ、そういうつもりじゃあ! 僕はただ、話が、知りたくて……その、僕は、女っ気が今までなくて、女友達もいなくて、だから」


「ええ? その顔で?」


「彼女と知り合う前は全然、ださかった。彼女に言われるままにしてたら、いつの間にか」


「へぇぇ、信じられないわね」


 だとしたら彼女さんは大したもんだ、ここまで洗練された麗しい男を作り上げるだなんて。


 だとしたら。本当に彼女はこの人を好きなのね。……まあ、ちょっと、コントロールしすぎの嫌いはありけり。


「……あなたの、ような……人が、人と、お近づきになりたい。いけませんか」


「いけないわよ」


 ぐっと詰まる。「お互い妻も夫もいるのに、教師と生徒の母親が仲良かったら、噂の種じゃない。よからぬ噂、立っていいんですか? まだ着任早々でしょ? 大体近所だっていうのにわざわざ学校で子供使って」おっとっと。やめときましょう。


「う……まだ僕は正式に、それにあなたのは違うんでしょう? まゆちゃんのための嘘だって」


「ええそうね。その節はお世話になりました」


「あ、いえ」


 私が頭を下げると律儀に照れる。なんていう真面目一辺倒の人なのかしら。呆れ返るやら、かわいらしく思えるやら。小動物だけど。


「でも、私は好んだ人がいます。この人しかいない人が。昨日も温泉旅館で、熱い夜を過ごしてきました」


 そして照れるのだ。十近くも下の男が、こんなにも私のなにかをくすぐってくるものだとは思わなかった。


 なんていうか、いじめたくなってくる。普段されているからか、どうだか。


「どんなことしてきたか、知りたい?」


 身を乗り出して言ってやると、両手を前にやって顔ごと左へ避けていった。


「あはは、冗談よ。あなたたちがしてるのとおんなじ。どこもかしこも、やってることは変わんないわ」


 ようやくお茶に口をつけた。おお、これはおいしい。彼女さんはいい銘柄を知ってるのね。うまく手懐けたもんだ、感心感心。


「あ、あの……よかったら……そ、相談に、乗ってくれませんか?」


「ん、いいわよ」


 きっといい奥さんがなんとかするでしょう。そっちに任せようっと。しーらない。


「その……どうやったら彼女が喜ぶのか」


 吹きそうになった。この流れでそんなこと、聞くのは一つしかない。まゆがお世話になっている手前どうにかそれを堪え、飲み込んだ。


 ……やっぱり私って、経験豊富に見えるんだ? 何度この手の相談を受けてきたかしれない。
夏野(なつの)にだって最初やられたわね、ああ苦かりし思い出。さっきみたいなこと、言うからいけないのかしら。そんなことないわよね、うん。


「すいません、こんなのを聞けるのは誰もいなくて、絵里さんしか」


「ああいいのいいの、そうね、若いうちは大変か」


「お互い、初めて同士で、最初はどうしたらいいか、わからなくて、未だにうまく、できなくて、彼女がよく、ならないんです」


「ああ、うん」


「いつもは気が強くて、僕を引っ張ってくれるんですけど、夜になると誘うくせに、そういうことは男がやるものでしょって、こちらが主導権を握っちゃって、戸惑ってしまって」


「ああ、うん」


 自らの鏡写しを聞かされているようになってしまった。私もそうなのよねえと、言ってしまえば楽になれる。が、言えない。


「彼女は僕が、おたおたしてるのが嫌だそうなんです。手間取ったりしてるのが嫌で、途中で冷めてしまうこともたびたび。情けなくてどうしたらいいか」


「……」


 あのバカ野郎ときたらそんな素振りは一切見せず、大好きな姉と(初めて同士だったくせに)経験を何度も重ね、床上手と化してしまっていた。同じことをすればいいわ、とにかく回数よ! などと、適当なことを言ってしまいたい。


 回数じゃあ、ない。それだけは確かだわ。質よ、濃さよ。それで決まる。


 ……なんと言えばいいのか。こんな男(の子)を母性本能をくすぐるタイプと言うのかしら。弱々しく身を縮める新米教師に、あいつがやるように撫で繰り回してやりたくなってしまう。


 あの人がしてくれるようなことを、しなさいと言うのもおかしな話だわ。この人と彼女さんには、二人にだけぴったりのやり方がある。私はあの……んん、やり方がぴったりきているけれど、肌が合わないこともあるでしょう。あいつ合わせてくるのよね、まず間違いなく。


 合わせようと、すればいいのかしら。お互いの噛み合わせを、しっかりよく噛んで。


「ええっとねえ、具体的にこうしなさいとは言えないわ。ごめんなさい、私も詳しくはないの」


「え、そうなんですか? よかった……」


 ほっとしてる。見た目こうの私が経験浅いと知り、なんだの、ため息。失礼ね。


 少し腹が立ったのでカマをかけてみよう。


「あなた最中にだんまりでしょ? 緊張して」


「え、はい、そうなんです、なにを言ったらいいか」


 本当なのね。「指先も優しくしようとしてぎこちなくなってしまって」


「はい」


「彼女の顔もまともに見れなくて」


「はい」


「気がついたら自分だけ終わってる」


「……はい」


 ほんと生真面目だこと。そこくらいのらりくらりかわせばいいのに。


 真剣に好きなのね、お互い。かわいいわ。


「そんなんじゃあ、彼女も不貞腐れてなんにも言えないわよ。普段気が強いんでしょ? 意地っ張り?」


「ええ、まあ」


「じゃあ悔しくて言えないわよ、自分がこの人を満足させる、いい女じゃないってね」


「えっ」


「そうよ、あなたと同じことで悩んでるの。どうしたらいいんだろう、どうしたらもっとうまく、夜くらいあの人の前でかわいくいられるんだろう。夜くらいかわいい自分でありたい、だから任せてみたい。夜くらいあいつに好きにさせてやりたい、自分はなにされても平気なんだから……」


「……」


 間抜けに開いた口が塞がらない彼の目から、鱗が落ちているのがはっきり見えた。


「心当たり、あるんだ? 言っとくけど他人の言葉よ、鵜呑みにして真に受けてもらっちゃ困ります」


「でも、思い当たる節があるんです」


 至極納得のいった顔で頷かれてしまった。そんなに当たってた? 思いつくままに、勘もいいところの適当なさじ加減なのになあ。


 決して私のことじゃあ、ないわよ。


「もっと話しなさいよ、えっちのときだからだんまりだっていうのはさ、初めて同士じゃよくないわよ。と、思うわ」


 これは経験談だけれど。あいつの口の動かしようときたらどうしようもないほどだった。


 なぜかぷっと吹き出されてしまった。


「な、なに?」


「あ、いえ、その、絵里さんがセックスをえっち、って言うもんだから」


「……! う、うっさいわね! どう呼んだって同じでしょ!」


 旦那がうつったのよ、あいつはみゆちゃんからうつったし、ほかの子だってしきりにえっちえっち、ああもう!


「彼女には言わないでねっ」


「はい、もちろん」


 出て行こうかと思ったけれど、この真っ赤で上山家から出て行こうものなら、あとでなにを言われるか。治まるまでいよう。お茶でも飲んで、ずずず。


「そうか、話か……なに」


「なにを話したらいいのでしょう、まで聞いたら彼女は泣くわ」


「う……」


「そんな顔しないでよ、もう、しょうがないわね。あなたが話して、リラックスできることでいいのよ。それか自分の今の感想。彼女を見て、どう思うか。素直に」


 私も言ってる。思わず、と。


 惚れ惚れする男性の肉体美に、言わずにはいられないものだわ。


「かわいいと思うから抱きたいんじゃないの?」


「それはもちろんです」


「じゃあそう言えばいいだけよ、顔見てね。言っとくけど、男なんかの万倍女は恥ずかしいんだから。あなただけに見せてもいいって、さらけ出してるのよ? 照れてどうすんのよ、男でしょ」


「……すいません」


「見たいところを見て、触りたいところを触って、言いたいことを言いなさい。せっかくの夜なんだから。初めて同士なら、きっとそれでうまくいくわ」


 なんてメルヘンだけれど。最近自分の周りのほぼすべてでメルヘンを感じ、とうとう感化されたみたいね。なにしろ自分ができないことを言ってるんだから。


「あと、お互いの齟齬を埋めるのも重要よ。えっち、んん、セックスは二人でするものよ。認識を違えたままでうまくいきっこないわ」


「……」


「まあ、すぐ言えたら苦労ないか。そうね、とりあえずの目標は緊張を解く! そのために思ったことを言おう! まずは顔を見よう! 次におっぱい! これでどう?」


「が、頑張ります。はは、なんだか元気が出てきました。絵里さんって、かわいいですね」


「……どうしてそんな悪いことを言うの」


「いえ、絵里さんの口からおっぱいって聞くと、なんだかかわいらしくって。不思議だなって」


「……子を持つとそうなるわよ。まゆにお乳あげてたもの。母親になればみんな言うわ」


「ああ、そうなんですか」


「だから。私をかわいいとは二度と言わないで。言っていいのは私の旦那だけよ」


 ずいっと再度近づいてやった。また同じように、今度は別の意味で両手を前に出し、顔を左へ避ける。とくとわからせたのち、元の位置に戻ってやった。


「言うなら彼女に言ってやりなさい、もうすぐ聞いてくれなくなるんだから」


「え? どうしてですか?」


「あなたが一番の時期は、子供ができるまでよ。新婚ほやほやまで。子供ができたら、あなたがかわいいねと言っても反応しなくなるわ。それより育児が大変で、子供がかわいいもの」


 かわいいと言いたくなるような格好もすぐにしなくなるわよ、とは抑えておいた。


「だから、今のうちに言っておきなさい。かわいいと言って返事がもらえるうちにね。あなたを素敵な旦那さんと、思ってくれてるうちにね、あっという間よ? ふふ」


「……怖いこと言いますね。さすが経験者だ」


「ちっち、誰に聞いても一緒よ、なんならあなたの父親に聞いてみたら? 絶対よ」


「そ、そうしようかな」


「すぐに夫には構わなくなるわ、構わなくていいんですもの、夫はしっかり自分が認めた、いい男だから。ほっぽっといても平気、それより目に入れてもかわいくない子供を見ていたい。ああかわいい、かわいい、あ、あなた夕飯そこにあるから食べといてね、ああかわいい」


「嫌がらせですか……」


「真実よ。私をかわいいと言った罰に、真実を教えてあげてるの。感謝しなさい。すぐにあなたと写った写真の十倍二十倍の子供の写真ができるわ、今だとDVDだっけ?」


「う……も、もういいですから」


「そうなることは幸せよ、家族なんだから」


 ふっと笑顔になる。まゆのアルバムは今は実家で眠ってる。ここに来るときに入りきらず、あとで取りに行こうとしたら本当に門前払いを食らって、用件を言うと一冊だけくれたっけ。それもいいかと、これから増やそうと思ったもの。


「家族になって、変わることは幸せよ。あなたもなると、きっとわかると思うわ。今の甘い蜜月が、形を変えただけだって。あなただって、幸せになりたいから結婚するんじゃないでしょ? 今幸せだから、結婚して幸せも苦労も分かち合おうって、思ったんでしょ?」


「それは……そんなこと考えたことも、なかったです」


 ため息。また目から鱗が落ちていた。


「そうか、そうだ……そうです、そうですよっ、今幸せなんです、だから、結婚してお互いの苦労を、背負ってもいいかって、思うんですねっ」


「いや、そんな興奮されることじゃ」


「目が覚める思いです、そうか……そうだ、そうだよ」


 なにかスイッチを入れてしまったようだった。ど、どうしよう、若いって怖い。


「僕も相談されるんです、もうすぐ結婚するからって、結婚なんかして失敗が怖くないかとか、離婚が怖くないのかとか、本当に幸せになれるのかとか。違うんです、違うんだっ」


「ああ、うん」


「幸せだから結婚するんだ、そうだっ、そうだよっ、
月夜(つくよ)さんに言わなくちゃ」


「……うちのメイちゃんになに教えたの」


 どさっと、スーパーの袋が落ちる音がする。横を見ると綺麗な彼女さんが気合の入ったよそいきでやってきていた。


「ちょっとおばさんっ、あたしのめいちゃ」


「月夜さんっ」


 がしっと、音がこっちにも聞こえるくらい強くつかんでた。


「は、はいっ」


「僕たち幸せだねっ」


「あ、はい。幸せです」


 急に飛び掛らんばかりに勢いのある彼氏に驚いたのか、しおらしかった。


「結婚するから幸せになるんじゃないよね? 今幸せだから、結婚しようって思うんだよね?」


「……」ちらりと私を見る。わずかに頬を染め、次の瞬間には強気の顔を作って先生を突き飛ばした。


「当たり前でしょ、今さら気づいたの? まったく、メイちゃんはあたしがいないとダメなんだからぁ」


 でも、笑ってるわ。かわいい子ね、とっても。


「僕もっと頑張るよ! もっと君と幸せになりたい! もっと君と、楽しい夜を過ごしたい!」


「ええっ? な、なに言い出すのよ、急に」


 慌てて目線を逸らし、その先にいる私にがるると噛みつきそうに怖い顔。退散しよう。


「頑張ってねメイちゃん? それじゃさようなら」


 これは一生言えるわ。ほくそえんでやる。
彩明(さいめい)だからメイちゃん、か。ふふふ。


 玄関から出ても、古い家から彼女の通る怒鳴り声がいつまでも響いていた。あーあ、明日噂だぞ、こりゃ。


 適当に言いすぎたことが的を得たらしいことを若干反省しつつ(口の軽いのはきっと旦那がうつったのよ)、すぐ近くの我が家へと帰り着く。既に紗絵子さんたちも戻っているらしく、玄関には靴が所狭しと、その割にはきっちり並んでいた。ああ、紗絵子さんこういうのうるさそう。私もだけどね、ちょっと並びを戻しつつ、自分も敷居を跨いで揃えておいた。


 早くこの陳列に一つだけ大きなものを加えたい。そう思いながら。








 お茶の間では全員集合していた。八時でもないのに。なにやら黄色い歓声が多く、中心をのぞきこんで見る。


 アルバム鑑賞会のようだった。そっか、ようやく見せられるのね。中では紗絵子さんとあの人と柚香里さん、それに赤ん坊の奈々穂ちゃんの四人が揃っている写真があった。「これは珍しいのよ」と、得意げな紗絵子さん。


「せんせぇかわいいー、ねー?」


「ねー? ふふふ、憲邇さんかわいいとこあったんだあ。あ、お母さんおかえり。うわきどうだった?」


「ええもう大成功よ、意外と力強いのよ上山先生、組み伏せられちゃった」


「絵里さん? そ、それは、憲邇先生悲しむじゃないんですか?」


 なりたての巴さんはすぐに狼狽したが、みんなが慌てないところを見てようやく、冗談だと気づく。なりたてに相応しく、ふわふわの真っ白なワンピースに、麦藁帽子を抱えていた。でも、春花さんや花雪ちゃんには見えない、また別の一面がのぞいてる。


「ええもう、これは
I love you, babyと言うしかないわね」


「また紗絵子さんっ、ううう、ひどいですぅ」


「なに、どしたの?」


「さっきね、みゆちゃんが聞いてきたの。あいらびゅう、べいべぇってどういう意味ですかってね。教えたら赤面しちゃってねぇ、憲邇くんに言われたんだって」


「ヒミツにしてくださいって言ったのにぃ」


「あははは、いいですねぇ、私もご主人様に言ってもらいたいなぁ」


 やっぱりロリコン伯爵か。いや、男爵だったっけ? あの映画好きなんだけどなあ、まったく。


「お母さん、どういう意味?」


 こちらを見上げる、無邪気なそばかす。


 ころころと撫で、不思議がる娘に、教えてやらない。


 私も同じよ、あなたに同じことを思っているわ。目に入れても痛くない、かわいい我が子。


 愛してる、かわいい君よ。
















































































 第四十八話あとがき的戯言




 こんばんは、
三日月(みかづき)です。このたびは「ごめんなさい」第四十八話を読了くださりましてありがとうございます。


 特に蛇足もなし。平穏無事な毎日ですね、作中は。常春にぽかぽかです。


 
I love you, baby!


 それでは今回はこの辺で。また次回もよろしくお願いします。


(この世界はファンタジー世界のようなものであります)




 
20100714 三日月まるる




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テーマ : 官能小説 - ジャンル : アダルト

2011/01/19 19:18 | 小説COMMENT(0)TRACKBACK(0)  TOP

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